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20240317 桁外れ

あるとき新しい訳の『平家物語』を読んでいて、冒頭に出てくる平家最盛期の清盛の言動がとある演出家の方にそっくりでびっくりしたことがあった。読んだ瞬間に「あ、これは◯◯さんだ!」と思った。世が世なら将軍にでもなっていただろうというか、どこか普通の人の感覚ではない、すこしサイコパスっぽい感じがその人を彷彿とさせた。歴史に名を残す将軍や王様みたいなタイプの人は多かれ少なかれそういうところがあったのだろうと思うとちょっと腑に落ちるところもあった。

▼演出家であれ劇作家であれ、小さくても集団を率いる時にどうするかというのはそれぞれの個性が出る。もともと持っている天性のリーダーシップを発揮してぐいぐいと引っ張っていくタイプの人もいれば、個々の自主性に委ねながら調整型で全体を最適化していくタイプの人もいる。

▼どうやって一緒に演劇をやってくれる人を集めるかということを考える時、平田オリザさんがオーディションのときにしていた小話に「料理がうまくて劇団員の胃袋を掴んでいる、ということでもいいんです」というのがあった。最近だと劇団でもあまり一緒に料理をつくって食事をするというシチュエーションも多くはないとは思うけれど、幾人かの演出家の方を思い浮かべるとたしかに料理が上手な方が多くてそこに何かしらの関係はあるのかなという気はする。

▼これもまた平田オリザさんの本にあった言葉で「演出家なら作品ごとに新たな世界観を呈示すること、劇作家なら面白い作品を書き続けること」が演劇をつづけることの必須条件だというのがあった。「なるほど」と思いつつ、演劇の創作の中心になるのは演出家や劇作家で俳優はそこに参加するもの、というのがなんとなく無意識の前提になっているような気がする。俳優自身が先陣をきって創作が行われるということはあまり想定されていないのかなと思う。

▼では俳優が演劇をつづけることの必須条件はなんだろうかと考えてみた時に、私ならそれは「桁外れの野心を持ち続けること」だと思う。まだみたことのない景色を見、まだやったことのない表現の中に身を賭して、自分がまだたどりついていない領域に勇気をもって歩みを進めていける野心が、何よりも必要だと思う。

▼演出家や劇作家が呈示する世界観に献身することも大切だしもちろん必要なことではあるにせよ、何よりも俳優自身に桁外れの大きな野心がないことには演劇はおもしろくなっていかないような気がする。呑気に演出家や劇作家に率いられていたのでは遅い。演出家や劇作家に対して一歩遅れてついていくのではなくて、彼らと同時か、むしろ一歩先んじるくらいの勢いで各々の思う先へと走り出していられたらと思う。それで一緒に作品がつくれるというのは、ほとんど奇跡に近いとも。

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