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『マチネの終わりに』第九章(4)

 四月初旬には、三年弱ぶりとなるリサイタルが横浜で予定されており、決行か中止かの判断を巡って協議を続けていた。

 二週間経つと、早苗の疲労が限界に達した。自分というより優希のために、彼女は、放射性物質の東京への飛散や飲食物の汚染といった情報をネットで調べ続けた挙げ句、いよいよ混乱して途方に暮れてしまっていた。

 蒔野は、早苗の両親の懇願もあって、二人をしばらく福岡の実家に帰省させることにした。彼自身も同行して、二日ほどを博多で過ごしたが、余震がないというだけでも、精神的にはかなり楽だった。街行く人の表情も、節電でネオンが消えた東京の抑鬱的な緊迫感とはまるで違っていた。

 自宅で独りになると、蒔野は久しぶりに人気のない静けさに浸ったが、そのことに寂しさも感じた。いつになくテレビをつけがちで、繰り返される津波の映像や被災者の報道、更には刻々と変化する原発事故の状況は、彼をなかなか練習に集中させなかった。情報収集のために、ネットに接する時間も長くなったが、「絆」という言葉に縛められた殺伐とした躁状態には彼自身も疲弊した。

 蒔野は最終的に、コンサートを中止しない決断を下した。余震も続いており、早苗は彼への風当たりを懸念して反対していたが、自分自身の心の重苦しさを思っても、こういう時にこそ、この世界には音楽が必要なのだと信念を以て主張すべきだと考えた。既にチケットは完売していたが、当日の客足はわからなかった。主催者とは、万が一の場合の避難について、時間を掛けて打ち合わせをした。

 同じ時期にコンサートの予定があった他の音楽家らと同様に、中止しても決行しても、何らかの批判は免れ得なかった。蒔野は、コンサートの収益を全額、被災地に寄付することを併せて公表したが、こんな時に不謹慎だというものから次なる地震が警戒されている最中に非常識だというもの、逼迫する電力の無駄遣いだというもの、更には寄付自体を偽善的な売名行為だというものまで、非難の声は予想以上に大きく、普段ならば頭に来そうなところだが、さすがに蒔野も気弱になり、自分の判断の是非に自信を持てなかった。

 蓋を開けてみれば、コンサートは、当日券売り場に行列が出来るほどの盛況だった。


第九章・マチネの終わりに/4=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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