ある男|6−4|平野啓一郎
新学期の朝の、何かに追い立てられるような静けさを、古いクーラーの音が強調していた。
悠人は、お盆に家族で別府に旅行に行った折に声が掠れ始めて、戻ってきた時にはすっかり声変わりしていた。そのせいもあるのか、里枝は息子が急に大人びて感じられた。
カーテンの閉じ目から差し込む朝日は、この僅かなやりとりの間にも、目に見えて強くなって、ツクツクボウシの鳴き声が、煽られるように高くなっていった。
里枝は、堅く結んでいた口許を緩めると、力なく嘆息した。
「悠人にとって、お父さんはどんな人だった?」
「え?……やさしかったよ。違うの?」
「ううん。そうね。」
「叱る時も、ちゃんとどうしてダメなのか、一緒に座って説明してくれて、僕の話もよく聞いてくれたし。……前のお父さんよりも、人間として立派だと思う。僕には、前のお父さんの血が流れてるけど、後のお父さんが本当のお父さんだったら良かった。花ちゃんがうらやましい。」
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