ある男|6−2|平野啓一郎
生まれた時から、花はずっと「ふわふわの子供」と皆に言われていた。体全体を見ると、特に太っている、というわけではなかったが、とにかく、両腕と両足が、人が思わず触ってみたくなるほど肉づきがよく、しかもその感触が、この世に他に似た何かを探すことが出来ないほど、「ふわふわ」なのだった。
その体も、歩けるようになり、こども園で毎日駆け回るようになってからは段々と引き締まってきて、この一年で、手足はすっきりと細くなっていた。もう「ふわふわの子供」ではなく、本人もそう言われていたことを、恐らくは忘れていた。
子供は成長が早過ぎて、その子らしさ、と思っていたものがすぐにそうではなくなってしまう。死んだ遼にしても、自分が摑んでいた、聞き分けの良さだとか、我慢強さだとか、愛嬌や臆病さといった性格的な特徴が、一体何だったのかは、酷く曖昧な気がした。
しかし、花を見ていると、少なくともその外観は、ますますはっきりと父親に似てきているようだった。特に目が似ていた。鼻はどちらにも似ず高くなりそうだが。けれどもそれは、今はまだ誰とも知れない、ある男の風貌の特徴なのだった。
里枝は、急に悪い予感に襲われたように、顔色を失った。そして、卵を皿に載せ、トースターの中で焼き上がっていたパンにバターとジャムを塗ってやると、
「ちょっと、おかあさんがおこしてくるから、はなちゃん、これたべててくれる? おばあちゃんも、すぐにおきてくるとおもうから。」と言った。
「うん、わかった!」
二階の部屋に行くと、悠人はクーラーをつけて、ベッドの上でタオルケットにくるまっていた。
「どうしたの? 体調悪いの?」
悠人の返事を待てずに、里枝はベッドに腰を下ろして、背中に手を当てた。壁を向いたまま、彼はそのからだを、一層固く内に向かって引き絞った。額に腕を伸ばすと、嫌がるふうに枕に顔を埋めたが、熱はなかった。
「気分悪いんだったら、お母さんに言って。病院に行かないと。」
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