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『マチネの終わりに』第九章(9)

【あらすじ】蒔野(まきの)は妻の早苗から偽メールの件を告白されたが、いとしい娘が誕生したこともあって後戻りは考えられない。東日本大震災直後のリサイタルを成功させ、翌年発売したバッハのアルバムは世界的な評価を得る。一方、洋子は難民支援のNGOで精力的に働き始めた。

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 蒔野は、二〇一二年の夏にはキューバとブラジルで演奏することになっていたが、その前に、ニューヨークのマーキン・コンサート・ホールでの公演が決まったのは、このバッハのCDの好評を受けてのことだった。三十年の歴史のある四百五十席ほどの会場だが、数年前に改装を終えて、音響面では飛躍的な向上を見たという評判だった。

 チケットの売り出しは悪くなく、必ずしも日本人ばかりが買っているというのでもないらしかった。蒔野は知らなかったが、その購入者の中には、小峰洋子も含まれていた。

 バッハのレコーディングのために、ロンドンに滞在していた時、蒔野は実は、洋子を一度、見かけていた。――テレビの中だった。

 ホテルの部屋で、夕食に出かける準備をしながら、彼は、BBCのニュースを見ていた。国連人権理事会が、シリアのアサド政権による反政府デモの弾圧について審議しているという報道の中で、洋子が英語で演説をしている姿が、数秒間、映された。それから、肩書きと共に「Yoko Komine」という名前が表示され、会場の廊下での立ったままの短いインタヴューが流れたのだった。

 蒔野は、シャツのボタンを留めかかったまま、テレビに釘付けになった。息を呑んでベッドに腰を下ろし、彼女を見つめた。スーツを着ていて、髪はアップにまとめている。それで、まっすぐの細い首が、一際目を惹いた。彼のよく知っている、低い声の理知的な話しぶりだったが、その真剣な眼差しには熱意が籠もっていた。

 四年以上が経っていた。洋子もさすがに幾分、歳を取っていたが、その姿は精彩を放っていた。かつて毎日のように、パソコン越しに会話をしていた頃の記憶がしきりに脳裏にちらついた。そしてそれが懐かしかった。


第九章・マチネの終わりに/9=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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