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ある男|4−2|平野啓一郎

谷口恭一は、弟の近影を一枚も持っていなかった。世代的に若い頃の写真が少ないのは仕方がないが、成人後も、不仲のせいで、デジカメで撮り合うようなことはなかったらしい。彼からは、古い家族写真を一枚、見せられていたが、そこに写っていた小さな谷口大祐の横顔と、美涼と向かい合う彼の表情はほとんど別人だった。

 いかにも、恋人が向けたカメラの前で、はにかみつつじっとしている様子で、その時の美涼の表情まで目に浮かぶようだった。そしてやはり、彼は〝X〟には似ていなかった。

「よかったらどうぞ、それ。もしお役に立つなら。……わたしも、もう十年以上連絡取ってないし、ダイスケの今の人間関係とかは、全然、知らないんです。」

「そうですか。お兄さんの恭一さんが、あなたなら大祐さんの連絡先を知ってるんじゃないかって仰るんで。」

 美涼は、グラスに氷を入れて、チンザノ・ロッソを注いで一口飲み、眉を顰めた。

「ダイスケのことは、高校時代から知ってます。つきあったり、別れたり、……長かったから、それででしょ。」

「じゃあ、恭一さんのことも、よくご存じなんですね?」

 当然のことを訊いたせいか、美涼は、カウンターの中の何かを気にしながら、ええ、と頷いた。そして、改めてこちらを向くと、だから? と問い返すような目をした。

「兄弟仲は、悪かったんですか?」

「ダイスケは、……恭一くんのこと、好きだったと思いますよ。対照的な兄弟でしたけど、高校生くらいまでは、仲も悪くなかったし。」

 そう言うと、美涼は何か口にしかけたことを躊躇って、そのまま口を噤んだ。城戸はそれに気づいたが、恐らくは別の方向に話頭が転じたのに従った。

「兄弟っていうより、親の問題なのかなと思いますけど。……よくある話ですけど、どっちが家を継ぐかで、両親の考えが揺れたんですよ。恭一くんが家業を継がないって反発してたから、ダイスケを保険にしてたんです。だったらもう、ダイスケに継がせてあげればいいのに、恭一くんが心変わりするなら、いつでもって感じで、曖昧な態度を取り続けてましたから。ダイスケの人生も宙ぶらりんになるでしょう?」

「大祐さん自身は、家を継ぎたがってたんですか?」

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