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『マチネの終わりに』第九章(5)

 復帰リサイタルが、こうした状況であったことは、蒔野の感情を複雑に高揚させた。固より克服されねばならなかった、彼自身の不安があった。その上で、遠い死者たちの絶対的な沈黙とまだ生きている者らが携え、会場に持ち寄った数多の沈黙とを、両ながらに一つの音楽に変えねばならなかった。その緊張のために、蒔野は初めて、本番前の嘔吐を経験した。

 新聞社二つと日本取材中のCNNのインタヴューを受けると、蒔野は、楽屋で独りギターを抱えたまま、武知のことを考えていた。彼は、東日本大震災を知らないまま死んでしまったが、その単純な事実が、蒔野の心を捕らえて放さなかった。驚くことも、悲しむことも、考え込むこともないまま、彼は今も静かに死んでいて、自分はそれを教えてやることも出来ない。――何の意味があるのかもわからないまま、蒔野はただ、その事実に思いを巡らせていた。そうして気がつけば、武知は、本番までの不安な時間を蒔野に付き合ってくれていた。

 舞台に立って、客席を埋める人々の顔を見ると、胸に迫るものがあった。蒔野は、眉間をほんの少し持ち上げて微笑み、頭を下げた。拍手には、無言のうちに心情を思いやるような雰囲気があった。

 プログラムは、新旧のレパートリーが半分ずつの構成で、最後まで危なげなく演奏を終えた。とにかく今日は、弾くこと自体に意味があるのだと自分に言い聞かせていた。後半の途中で、武知が好きだったラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョを、独奏用に短く編曲し直して演奏した。アンコールの一曲目には、期待に応えてバリオスの《大聖堂》を、そして二曲目には、かつてパリで、イラクから逃れてきたジャリーラに聴かせたヴィラ=ロボスの《ガボット・ショーロ》を、あの時以来、初めて弾いた。敢えてマイクでは一言も喋らなかったが、やって良かったと最後に客席に頭を下げつつ感じた。

 終演後、蒔野は、楽屋に籠もってしばらく独りにさせてもらった。そして、バッハに取り組むならば、今だろうと考えた。

 三年前に、彼の演奏家としての時間が止まって以来、絶えず考えてきたことだったが、震災後は、かつて洋子が口にした「やっぱり、三十年戦争のあとの音楽なんだなって、すごく感じた。」という評言が思い返されていた。


第九章・マチネの終わりに/5=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


▲ラヴェルのピアノ協奏曲のアダージョ


▲バリオスの《大聖堂》


▲ヴィラ=ロボスの《ガボット・ショーロ》

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