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新書『「カッコいい」とは何か』|はじめに|

平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売に先駆けて、序章、終章、そして平野が最も重要と位置付ける第3章、4章を限定公開。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。

はじめに

意外に新しい言葉
 本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。

 今日、「カッコいい」という言葉は、誰もが日常的に使用しており、今更、その意味など教えてもらうまでもないと思われるかもしれない。「カッコいい」とは、つまりは「カッコいい」ことじゃないかと、説明抜きに了解されているであろう。

 しかし、この言葉は意外に(?)新しい言葉である。

「カッコいい」が、現代語辞典に登場するのは、ようやく一九九〇年代のことで、一般的な言葉として普及したのは、実は一九六〇年代である。半世紀以上前の日本人は、何かにつけて、「カッコいい」と言ったりはしていなかったのである。

 本当だろうか? 現代の私たちの感覚では、この言葉を一切使用せずに会話が成り立っていたというのは、ちょっと想像しにくいところがある。戦前にも、あるいは江戸時代や戦国時代にも、「カッコいい」ものくらいはあっただろう。それらを一体、何と評していたのだろうか。

 作家の野坂昭如は、一九六八年に、次のように語っている。

「カッコいい」という言葉のつかわれ出したのは、ほぼテレビの普及と時を同じくしていて、テレビ関係者の中から生れた、一種の方言である。昭和三四年頃、ぼくは坂本九が、この言葉を、すでに「カックいい」とくずして口にし、なんのことかと、奇妙に思ったことを覚えていて、「カッコいい」はまた、テレビ界の生んだ、その方言の第一号であるかもしれぬ。(1)

 これが、当時の認識である。

 もう一つ、三島由紀夫の「森鷗外」論(『作家論』一九六四年─)の一節を例に挙げておこう。

 どんな時代になろうと、文学が、気品乃至品格という点から評価されるべきなら、鷗外はおそらく近代一の気品の高い芸術家であり、その作品には、量的には大作はないが、その集積は、純良な檜のみで築かれた建築のように、一つの建築的精華なのだ。現在われわれの身のまわりにある、粗雑な、ゴミゴミした、無神経な、冗長な、甘い、フニャフニャした、下卑た、不透明な、文章の氾濫に、若い世代もいつかは愛想を尽かし、見るのもイヤになる時が来るにちがいない。人間の趣味は、どんな人でも、必ず洗煉へ向って進むものだからだ。そのとき彼らは鷗外の美を再発見し、「カッコいい」とは正しくこのことだと悟るにちがいない。

 三島にとって、鷗外は常に憧れの存在だったが、その魅力を伝えるために、彼はいかにも、「若い世代」の軽薄な言葉を敢えて使ってみせる風に、括弧付きで「カッコいい」を用いているのである。

 そして、興味深いことに、三島はこれを単なる流行語だと考えており、エッセイ「小説とは何か」(一九六九年)の中では、次のように書くのである。

 すべては相対的な問題であり、現代語として誰にもわかる「カッコイイ」などという言葉が、十年後には誰にもわからなくなるであろうことは、歌舞伎十八番の「助六」の洒落が、今日誰をも笑わせないのと同じである。

 しかし、この至極当然のように書かれた予言は、ハズれたのである。

突然の「カッコいい」ブーム
「カッコいい」という言葉は、実際は、野坂が言うように「テレビ関係者の中から生れた」わけではなかった。本篇で詳しく見るが、語誌的には「恰好の良い/が良い」は、江戸時代からちらほら文献に現れている。

「あのネ、おむすさんのお髪は、今日のはまことに恰好がよいぢやアございませんかねえ(あのね、娘さんの髪型、今日のは本当に恰好が良いじゃありませんか、ねえ)」(式亭三馬『浮世風呂』一八一一年)


 しかし、この「恰好が良い」は、「カッコいい」とまったく同じではない。「恰好が良い」は、明治、大正、昭和初期と、決して形容詞化された今日の「カッコいい」ほど頻繁に使用されていたわけではなく、またこの言葉がそのまま「カッコいい」に変化した、というわけでもない。

「カッコいい」は、一九六〇年代に、野坂が勘違いしたように、まるで新語のように唐突に「つかわれ出した」のであり、戦後、数々の流行語が生まれては消えていった中で、以来、一度として廃れることなく、今日に至るまで、完全に日常語として定着しているのである。

 しかし、なぜ一九六〇年代だったのだろうか? その時に、一体、何があって、日本人は口癖のように「カッコいい」と言うようになったのだろうか?

最高の褒め言葉
 いきなり文学の話が続いたが、「カッコいい」という言葉が、作品の評価として、より自然に用いられるのは、ダンスや音楽──それも、主にポピュラー・ミュージックの分野──だろう。

 ロックにせよ、ジャズにせよ、テクノにせよ、ヒップホップにせよ、二〇世紀後半以降の音楽は、伝統的な美学の「美」や「崇高」よりも、遥かに「カッコよさ」をその理想としていた。

 ビートルズも、マイルス・デイヴィスも、ジェフ・ミルズも、Run-DMCも、「カッコいい」という評価を抜きにしては、決してその存在を論ずることは出来ない。《ビリー・ジーン》を歌いながらムーンウォークを披露するマイケル・ジャクソンに、どうして人はあんなに熱狂したのか?──愚問だろう。「カッコよかった」からである!

 これは、プロアマを問わない話であって、友達のバンドをライヴハウスに聴きに行っても、「カッコよかった」というのは最高の褒め言葉であり、「カッコ悪かった」というのは、最悪の酷評である。

 どんなに超絶技巧で、音楽理論的に高度なことをしていても、「カッコ悪」ければ、すべて台なしであり、逆に、演奏がヘタで楽曲が単純でも、「カッコいい」音楽は賞賛される。パンク・ロックは、その代表的な成功例であり、こうした価値基準から漏れてしまったクラシックの現代曲などは、一般的な人気からは遠ざかってしまった。

 勿論、音楽のみならず、「カッコいい」ことの価値は、ファッション、自動車、家具や家電、ポスターなど、ありとあらゆるデザインの領域に浸透し、また映画や建築、更にはアートでさえ、その巨大な影響を被っている。

 ボツとなったザハ・ハディッドの新国立競技場のデザイン案が発表された時、多くの人の口を衝いて出た言葉は、「美しい」でも「崇高」でもなく、「カッコいい」だった。そして、予算圧縮による修正案が提示された時、その失望を最も端的に言い表した言葉は、「カッコ悪い」だったはずである。

 あるいは、ゲルハルト・リヒターの《アブストラクト・ペインティング》なども、私たちは、難解な美術批評の議論はさておき、ともかくも、「カッコいい」ものとして受け止めている。バーネット・ニューマンのように、自ら「崇高」という概念を唱え、そのように論じられてきた作品も、実のところ、「カッコいい」と言った方が、遥かにピンと来るのではあるまいか?

 コム・デ・ギャルソンも、フェラーリも、iPhoneも、『攻殻機動隊』も、「カッコいい」という言葉を用いることなしには到底、その魅力を語ることは出来ないだろう。

「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、二〇世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。

 にも拘らず、この「カッコいい」という概念は、今日に至るまで、マトモに顧みられることがなく、美術や音楽の真剣な議論の対象とはなってこなかった。文学の世界でも──三島はトリッキーにそれを鷗外礼讃に用いてみせたが──凡そ、真っ当な批評用語としての地位は与えられていない。
 これは、非常に奇妙な事実である。

       *

 根本的な問題として、「カッコいい」という概念の定義の難しさがある。
 誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。

 ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。

 ブランドのロゴが、胸に大きくプリントされたTシャツは、果たして「カッコいい」のか、「ダサい」のか? スポーツカーに乗ることとエコカーに乗ることとは、どちらが「カッコいい」のか? あるいは、デートの最中にチンピラに絡まれた時には、恋人を守るために相手をぶっ飛ばす方が「カッコいい」のか、適当にあしらって事を荒立てない方が「カッコいい」のか?……

辰𠮷𠀋一郎論争
 私が、「カッコいい」という言葉のふしぎさを思い知ったのは、大学時代のこんな〝事件〟がきっかけだった。

 一九九七年、私は京都大学の近くのバーで、バーテンダーのアルバイトをしていた。

 その日も、カウンターに座っていたサラリーマン風の男性客二人が、仲良くほろ酔い加減で談笑していた。何の変哲もない風景だった。

 そのうちに、いつの間にか、プロボクサーの辰𠮷𠀋一郎に話題が及んだ。
 辰𠮷は、九一年に、当時最速のデビュー八戦目でWBC世界バンタム級チャンピオンとなったカリスマ的ボクサーだった。しかし、その直後に、不幸にも「網膜裂孔」が発覚。手術によって回復はしたものの、離脱中に暫定チャンピオンの座についていたメキシコのビクトル・ラバナレスと王座統一戦を行い、敗北を喫してしまう。

 その後、再起戦で勝利し、更にラバナレスとの再戦で雪辱を果たして暫定チャンピオンとなるも、今度は「網膜剥離」が発覚し、タイトルの返上を迫られる。日本ボクシングコミッション(JBC)は、ルールによりそのライセンスの発行を停止し、辰𠮷は国内での試合が出来なくなってしまった。

 とは言え、医学の進歩を受けて、アメリカを初めとする海外では、当時既に「網膜剥離」の治癒後の復帰を認めている国もあり、ボクシング・ファンの間では侃々諤々の議論が巻き起こった。

 辰𠮷は結局、九四年に、JBC管轄外のハワイでカンバック戦を行い、メキシコの強豪に見事KOで勝利する。こうなると、ファンもいよいよヒートアップし、JBCは、対戦が熱望されていたバンタム級チャンピオンの薬師寺保栄との王座統一戦に限り、〝特例〟として国内での試合を許可するに至った。ただし、「網膜剥離の再発、もしくは一試合でも負ければ即引退」という厳しい条件が付されていた。そして、同年末に実現したこの試合で、辰𠮷は、壮絶なフルラウンドの死闘の末、敗北する。

 この辺りまでは、ファンも多くが辰𠮷を支持していた。しかし、この試合でやりきったと思われていた彼は、意外にもJBCが提示していた条件に従わず、再び引退を拒否して、翌年ラスベガスで二試合を行い、いずれも勝利する。対処に困ったJBCは、なし崩しに、「医師の診断があれば、世界戦に限り彼の国内での試合を許可する」という決定を下したが、この再三の〝特例〟は、物議を醸すこととなった。

 一九九六年から九八年にかけては、二階級制覇を目指し、WBC世界ジュニア・フェザー級(現・スーパーバンタム級)王者ダニエル・サラゴサに挑戦するが、いずれも惨敗。しかし、辰𠮷はここでも現役続行を表明することとなる。……(2)

 話を戻すと、京都のバーで、酔っ払った二人が話題にしていたのは、こうした経緯だった。

 私の向かいで飲んでいた男性の一人は、ボロボロになっても、JBCから何度引退勧告を受けても、好きなボクシングを続けようとする辰𠮷こそは、「男の中の男」だ、「カッコいい」と熱心に語っていた。

 ところが、一緒に飲んでいたもう一方の男性は、それにまったく否定的だった。

 幾ら不満とは言え、ルールはルールであり、それを守らないのは間違っているし、何事もやはり散り際が大事で、無様に醜態を晒す辰𠮷は、「カッコ悪い」というのが、彼の意見だった。

 私は、グラスを拭きながら、その会話には参加せずに黙って聞いていた。どちらの言い分もわからないではないし、ある意味では、「生き様」を巡る古典的な価値観の対立とも言える。

 しかし、「カッコ悪い」と言われた方は、最初こそ、「いやいや、カッコええやろ?」と笑いに紛らせつつ反論していたが、相手も引かないので、会話は見る見るうちに険悪になっていった。やがてカウンターを叩きながらの怒鳴り合いになり、到頭、つかみ合いの大ゲンカ(!)になってしまった。

 私は、その辺りでさすがに止めに入ったが、それにしても、この一夜のことは、私の中に強烈な印象として残ることとなった。

 あの二人は、一体なぜ、あそこまでアツくなってしまったのか?

 勿論、ただの酔っ払いのケンカだと言えばそれまでだが、特に辰𠮷を「カッコいい」と惚れ抜いていた男性は、もうあの友人とは、二度と仲直り出来ないのではないかというほど感情的になっていた。

 それはまるで、自分自身を「カッコ悪い」と面罵されたかのような腹の立てようで、気楽に言ったつもりの相手の方も、怒ってはいたが、些か呆れ気味だった。

 因みに、辰𠮷はこの年の一一月、五度目の世界挑戦で三度目の世界王者に返り咲いている。もし二人の友人関係がまだ続いていたなら、鬼の首を取ったように「ほら、見ろ!」とまたこのケンカが蒸し返されたかもしれない。

       *

 一体、「カッコいい」という概念は、浅いのか、深いのか?
 今日に至るまで、この言葉がマトモな扱いを受けてこなかったのは、明らかに、その意味内容が軽んぜられていたからである。

 ゲルハルト・リヒターの例を挙げたが、実際に、美術館で若いカップルが、彼の《アブストラクト・ペインティング》を前にして、「ヤバい、超カッコいいーっ!」などと興奮していたなら、ひとかどの美術愛好家を自任している人は、アートのアの字も知らん浅い感想だと、鼻で笑って冷ややかな眼差しを向けるかもしれない。

 しかし、一方で、何を「カッコいい」と思うかという判断には、個人のアイデンティティと深く結びついた意味がある。人からそれを馬鹿にされると頭に来るし、傷つきもする。

 他人のことはとやかく言えても、反対に、「じゃあ、オマエにとっての『カッコいい』人って誰なんだよ⁉」と迫られると、一瞬、返答に躊躇する。

 必ずしも自信がないわけではなくても、相手に通じないのではないか、と思うからである。そして、勇を鼓して答えてみて、「ハァ? ダッサ。」などと切り捨てられようものなら、そこからまた血の雨が降ることだろう。
……

八〇年代のマイルス・デイヴィス
 かく言う私は、昔からマイルス・デイヴィスのファンで、「カッコいい」人という時には、やはりすぐに頭に思い浮かぶ人の一人である。

 しかし、同じマイルス・ファンだとしても、必ずしも油断は出来ない。いつの頃の、どういうところが「カッコいい」のかという、更に細かな話があるからである。

 辰𠮷を巡るバーでのケンカを他人事のように書いたが、私自身、その後、八〇年代のマイルス・デイヴィスをどう思うか、という話を某氏としていて、「あんなん、どこがカッコええの? ギラッギラの演歌歌手みたいな服着て、めっちゃカッコ悪いわ。」と言われ、首を絞めたくなるほど(!)ムカついたことがある。マイルスは、そのキャリアを通じて、音楽のスタイルもファッションも随分と変化しているが、私は基本的にその全部が好きなのである。

80年代のマイルス


 勿論、シラフの私は、相手に掴みかかったりはしなかったが、しかし、正直に告白すると、未だにその一言を根に持っていて、私の中でその人は、音楽やファッションのセンスのみならず、何から何まで〝完全にダメな人〟という極端な烙印が捺されてしまっている(そういうわけで、私と良好な関係を維持したい人は、ご注意を……)。

 趣味の世界では、同じファン同士でも、自分の方がより詳しいし、より熱烈なファンだというゲンナリするような〝マウントの取り合い〟があるが、客観的に振り返れば、マイルスの中でも評価の分かれる時期であり、やっぱりマイルスは4ビートの時代が良かった、というのは、ある意味、平凡な意見である。

 しかし、面と向かって「カッコ悪い」と宣告されたショックは、容易に消えるものではない。しかもそれは、私が「カッコ悪い」と侮辱されたわけではなく、私が「カッコいい」と思う人が「カッコ悪い」と言われたに過ぎないのである。

議論の進め方
 こうしたことは、大なり小なり、恐らく多くの人が、人生のどこかで経験しているに違いない。

 誰を「カッコいい」と思うか、という告白には、単なる好き嫌いの表明以上に、個人のアイデンティティの本質を問うような、繊細で、ゆるがせに出来ない何かが含まれている。何とも言えず、軽薄で、チャラチャラしているように見えながら、その実、人を真剣に、感情的にさせてしまうのが、「カッコいい」の両義性である。

 そして、繰り返しになるが、何よりも社会が「カッコいい」を馬鹿に出来ないのは、それが持つ法外な動員能力と、消費刺激力の故である。

 一体、「カッコいい」とは、何なのか?

 私は子供の頃から、いつ誰に教えられたというわけでもなく、「カッコいい」存在に憧れてきたし、その体験は、私の人格形成に多大な影響を及ぼしている。にも拘らず、このそもそもの問いに真正面から答えてくれる本には、残念ながら、これまで出会ったことがない。そのことが、「私とは何か?」というアイデンティティを巡る問いに、一つの大きな穴を空けている。

 更に、自分の問題として気になるというだけでなく、二一世紀を迎えた私たちの社会は、この「カッコいい」という二〇世紀後半を支配した価値を明確に言語化できておらず、その可能性と問題とが見極められていないが故に、一種の混乱と停滞に陥っているように見える。

 そんなわけで、私は、一見単純で、わかりきったことのようでありながら、極めて複雑なこの概念のために、本書を執筆することにした。これは、現代という時代を生きる人間を考える上でも、不可避の仕事と思われた。なぜなら、凡そ、「カッコいい」という価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいないからである。

 新書なので、出来るだけ多くの人に、気軽に楽しんで読んでもらえるスタイルを心がけたが、他方で、今後もし、「美学」ならぬ「カッコいい学」が打ち立てられ、研究が進められるのであれば、本書も幾分なりとも寄与したいという思いもあり、予定よりページ数が嵩み、また、些か込み入った内容も含むこととなった。

 そもそもが、主観的で、多様性に富んだ「カッコいい」を巡る議論なので、私の思い込みを一方的に説いても不毛で、どうしても具体例や参考文献の引用が多くなった。

 著者の希望としては、無論、最初からすべてをじっくり読んでほしいが、ひとまず、以下のように章ごとの整理を行ったので、尻込みされる方は、関心の向く辺りから目を通してもらいたい。

 あえて指定するならば、全体のまとめである第10章にまずは目を通し、本書の肝となる第3章、第4章を理解してもらえれば、議論の見通しが良くなるだろう。

 第1章『「カッコいい」という日本語』では、まず、この言葉の語源を諸説を踏まえて検証し、日本に於けるジャズやロックの受容とともに、それがいかにして一九六〇年代に爆発的な流行に至ったのかを確認する。

 第2章『趣味は人それぞれか?』では、「カッコいい」の言葉の歴史を更に遡って漢語の「恰好」に求め、それが近世に至って「恰好が良い」となるまでの変遷を辿る。同時に、ヨーロッパで一八世紀に盛んになった「趣味論」を参照しつつ、個人主義と結びついた「カッコいい」の多様性について考えてみたい。

 また、章末では、コラムとして九鬼周造の『「いき」の構造』に触れた。

 第3章『「しびれる」という体感』は、本書の最も重要な章であり、「カッコいい」の本質を、その体感に注目して、心理学を参照しつつ分析する。「ドラクロワ=ボードレール的な体感主義」や「経験する自己/物語る自己」といった「カッコいい」を理解する上では不可欠のキーワードが登場するので、じっくり読んでみてほしい。

 第4章『「カッコ悪い」ことの不安』は、「カッコ悪い」とは何か?を、明治時代の洋装の導入過程を見ることで定義し、「カッコ悪い化(ダサい化)」の不安について論じる。「カッコいい」は、積極的に追い求められるだけでなく、自分が普通以下と見做されることの恐怖にも煽られている。また、「恰好が良い」とは別に、「義理」という武士道の基礎をなす概念に「カッコいい」のルーツを探り、社会的な「人倫の空白」を埋める上で、「カッコよさ」への憧れがいかなる機能を果たしたかを確認する。

 第5章『表面的か、実質的か』は、「カッコいい」の二元的な構造に注目し、ナチスの制服を「カッコいい」と言っていいのかどうかを具体例に、その外観と実質の乖離を倫理的に問い直す。また、モードに於ける「カッコ悪い化(ダサい化)」の手法を検証し、今日、二〇世紀後半的なマーケティング手法がどのような困難に直面しているかを整理する。

 第6章『アトランティック・クロッシング!』は、一九六〇年代に欧米を中心に爆発した「カッコいい」ブームの本丸に切り込み、アメリカの「クール」や「ヒップ」という概念やイギリスの「モッズ」という流行が、ロックと共に日本にどのような影響を及ぼしたかを概観する。また、「カッコいい」存在への〝感謝〟という感情を手がかりに、「カッコいい」と「恰好が良い」との接続のメカニズムを分析する。

 第7章『ダンディズム』は、日本の戦後の「カッコいい」に大きな影響を与えた、もう一つの概念として、一九世紀の英仏に登場した「ダンディズム」に焦点を当てる。英語、フランス語では死語化してしまったこの言葉は、今も日本語の中に生きているが、その意味は、ボードレールやオスカー・ワイルドが体現していたものとは非常に異なっている。

 第8章『「キリストに倣いて」以降』では、ヨーロッパ社会の同化・模倣対象としてのキリストのイメージの変遷を辿り、近代以降、世俗化した社会で、個人の「個性」が、なぜ、「カッコいい」存在を求めるに至ったのか、その必然性を探る。

 第9章『それは「男の美学」なのか?』は、古代ギリシアの「アンドレイア(男らしさ)」という概念に注目し、「カッコいい」の内実をジェンダーの視点から見てゆく。取り分け、「カッコよさ」と国家権力との関係は、批判的な分析対象となる。また、当然に、「かわいい」という概念との比較も重要である。男女雇用機会均等法が施行され、九〇年代以降、日本の女性誌が、「女らしいカッコよさ」をどのように定義していったかを、当時の関係者に取材した。

 第10章『「カッコいい」のこれから』は、「カッコいい」とは何か?という定義を総括し、私たちが今後、この概念とどのようにつきあっていくべきかを提言して締め括りとした。

 些か結論めいてはいるが、「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。

 新書という限られた紙幅ながら、長い旅のような本となった。

 楽しんで読んでいただければ幸いである。


脚注
(1)野坂昭如「何を賭ければカッコいいか─それは詩である(風俗─生の廃墟(特集))」『朝日ジャーナル』朝日新聞社編、一九六八年。『「恰好」から「かっこいい」へ:適合性suitabilityの感性化』(春木有亮 二〇一七年)より。
(2)『波瀾万丈 辰𠮷𠀋一郎自伝』(辰𠮷𠀋一郎)
『続波瀾万丈 辰𠮷𠀋一郎自伝』(辰𠮷𠀋一郎)
『孤高 辰𠮷𠀋一郎、闘いの日々』(佐藤純朗)


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