ある男|4−3|平野啓一郎
また一人、常連客らしい男が来て、城戸から一つ席を空けて座り、マスターと賑やかな会話を始めた。音楽は、カーティス・メイフィールドのライヴ・アルバムに変わっていて、観客の歓声が店内一杯に響き渡った。混み合う前に、もう少し谷口大祐のことを聞いておきたかった。
「大祐さんと連絡が取れなくなったのは、やっぱり、お父さんが亡くなられてからですか?」
「……多分。お葬式はわたしも行きましたけど、そのあとしばらく実家にいましたよ。その頃は、わたしはもう東京に出てきてたから、二週間に一度、会うくらいでしたけど。」
「その時は、……その、……」
「つきあってました。最後はだから、別れ話も何もせずに、急にいなくなったんです。」
「そうですか。……そのあと、電話とか、メールとかは?」
美涼は首を振った。
「通じませんでした。」
「やっぱり、生体肝移植のことで、大祐さんは傷ついてたんですか?」
「誰が言ったんですか、その話? 恭一くん?」
「いや、その写真の、大祐さんの名前で死んだ人ですよ。呼びようがないから、〝X〟さんってことにしてますけど。彼が結婚相手の女性に語ってたらしくて、僕は彼女から聞いたんです。」
「……何なんですか、それって? 気持ち悪い。」
「わからないです。〝X〟は多分、大祐さんに会ってるんでしょう。で、直接、話を聞いたんじゃないですか? それから、何らかの事情で、彼がその後、大祐さんになりすまして、大祐さんとして生きたんでしょう。大祐さんの過去をそのまま自分の過去にして。」
「何のために? 別にそんな、人の羨むような経歴でもないし。……遺産とか?」
美涼の丸い美しい額に、眉間からうっすらと影が走った。
「目的は、わかりません。遺産目当てというのは、当然考えることで、僕の仕事もその混乱を整理するのが一つですが。」
「ダイスケは無事なんですか? 警察は?」
「一応、捜索願は受理してますけど、それ以上のことはやってないですね。」
「もっと大騒ぎした方がいいんじゃないですか? テレビ局に話すとか。」
「いずれそうなるかもしれませんけど、恭一さんも、〝X〟の奥様もそれは望んでません。」
「どうして?」
「彼女は、……まだ混乱してます。当然ですが。……恭一さんは、客商売だから、殺人事件だとか何とかで騒がれたくない、と。」
美涼は、呆れたような顔で、深い溜息を吐いた。
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