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『マチネの終わりに』第九章(11)

 会いたいというその気持ちは、早苗と優希との生活の中で彼に罪悪感を抱かせた。彼はとりわけ、優希の生を無条件に、絶対的に肯定したかった。そうでなければかわいそうだったし、それが出来ないなら、自分は人間的にクズだと思っていた。もう時が経ちすぎてしまったのだと何度となく自分に言い聞かせ、始末の悪い自分の未練がましさに腹を立てた。

 洋子の生き生きとした姿を見て、彼は我がことのように嬉しく、誇らしかったが、それだけに、今更自分の出る幕ではないとも感じていた。彼は未だに洋子が早苗と再会したことを知らず、せめてあの別れの夜の誤解だけは解きたかった。彼が知ってほしかったのは、経緯というより、自分があの時、どれほど洋子を愛していたかということだった。

 しかし、それを今、彼女が知ったとして、どうなるというのだろう? 蒔野は、今この瞬間の生の事実性に拘っていた。現在は既にもう、それぞれに充実してしまい、その生活に伴う感情も芽生えてしまっている。

 過去は変えられる。――そう、そして、過去を変えながら、現在を変えないままでいる、ということは可能なのだろうか? 洋子は、蒔野が早苗を咎めたのと同じように、こう言うのではあるまいか? 「どうして黙っておいてくれなかったの?」と。

 NYから中南米にかけての今度のツアーは、同行者のいない一人旅だった。

 蒔野はミッドタウンに宿泊し、到着日の夕食前には、少しチェルシーの辺りを散歩した。

 是永から昔、洋子がその辺りに住んでいたと聞いたことがあった。そして、自分が無意識に、洋子を探しているのに気がつき、信号待ちのために立ち止まったところで、もう止めようと思った。

 会うべきではない。会えばどうなるのか、彼は自分の中にある怖さと向き合った。ここには第一、洋子はいないのだから。――そうして彼は、彼女が当日、会場一階奥の席にいることを知らないまま、舞台に立つこととなるのだった。

 洋子は、蒔野の新しいバッハの《無伴奏チェロ組曲全集》を発売直後に購入していたが、二十代の彼の「天才」の名を恣にしたあの旧盤を、あまりに愛していただけに、なかなかCDを開封することが出来なかった。長い演奏活動の休止明けであり、東日本大震災後、まだ一年と経ていなかった。


第九章・マチネの終わりに/11=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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