見出し画像

夜道

夜道を怖いと思ったことはありません。母は再婚でしたので、わたしには血のつながらない兄姉が三人もいて、よく使いっ走りをさせられました。日も沈んで真っ暗な中、商店でアイスを買ってこいと小銭を渡されるのです。兄姉らがわたしに押し付けたのは外に出るのが億劫なのと、実の所夜道が怖かったからなのでした。

わたしはまだ小学校に上がる前でした。夜道をそんな小さな子がひとりでなんて、今なら問題になるのかもしれませんが、当時の大人は子供なんて放ったらかしが普通でした。習い事もその頃すでにバスに乗って一人で通っていましたし、遅くまで子供だけで家に留守番などということもごく当たり前のことでした。

わたしは兄姉達に言われるがまま、真っ暗な道を商店まで歩きました。数百メートルはあったでしょうか。今と違って街灯なんてほとんどないので、まさに月の光を頼りに、という感じで。「明るいか暗いかだけで普段と同じ道なのに、何が怖いんだろ。」と、あまり苦痛にも感じず平気で帰ってきたもので、その後度々使いに出されるようになったのです。

暗闇は怖くありませんでしたがただ一つだけ、竹藪のそばだけは走って通ったのを覚えています。道沿いに小さな川があり、その付近の竹藪は夜になると一切の光を飲み込むような暗さがありました。昼間ならそこに小さな祠が見えるのですが、夜になるとその祠も飲み込まれすっかり消えてしまうのでした。

そういうわけで、わたしは今でも暗闇を怖いと思ったことはありません。田舎ですから街灯も都会と比べれば少なくここら辺は暗いのですが、それを不便に感じたのは、年頃になった娘達が学校から帰ってくる時に、危ないなぁと思った時くらいでしょうか。

一番近くの街灯はといえば、うちから50メートルほど先の近所の公園の敷地内にひとつ。それも23時なると自動で消えてしまうので、その時間までには飼い犬の散歩を終わらせようと気にかけていました。飼い犬のパルは人間で言えば50歳そこらでちょうどわたしと同年齢になります。外は寒いのでニット帽と手袋をして準備万端で外へ出ると、パルは早くおしっこをしたくて先をどんどんいきます。引っ張られるようにしてわたしもついて行きました。

いつもパルは道路の脇の草むらに入って匂いを嗅ぎます。犬はこうやって、他の動物の存在を感じたり、自分のテリトリーを意識したりするそうです。そのあいだわたしは辛うじて光っている公園の外灯をぼんやり眺めたりするのですが、その日は公園の入り口付近に、いちだんと暗い闇があることに気がつきました。

広場を囲むように植えられている大きな木が、外灯の光を受けて道側に大きな影を落としていました。おかげで道は黒いクレヨンで塗りつぶしたように真っ黒でした。その圧倒的な黒さに、ブラックホールはこんな感じか、と見たことも無いのになんだか合点してしまうほどに。

それでわたしは、暗闇が怖くありませんから、今度はその暗いところをなんとなく見つめていました。まさに吸い込まれるような感じだったかもしれません。黒い穴は、木々の隙間から漏れる外灯の光でさえも、その一切を飲み込む深さがありました。

草の匂いを嗅いでいたパルが、急に首をあげてその闇の方を向いて耳を立てました。パルの表情は見えませんでしたが、後ろからでもその硬直した感じがよくわかりました。わたしは急に寒気がして、引き返そうとリードを引っ張りましたがパルは動こうとしないので、少し力を入れて引っ張りました。一瞬、闇がこちらに向かって広がるように見えたので思わず走ると、パルもいっしょに走り出しました。

家に着いてもう一度振り返ると、公園の外灯は消えていました。
全ては一面、闇に飲み込まれた後でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?