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グランドスタッフ(GS)の仕事

短大生時代、仲の良い同級生がANAの客室乗務員に合格した。田舎の無名短大で、たぶん彼女が初のCA合格者。私はと言うと、語学留学に行きたかったので、卒業後オーストラリアのブリスベンに渡った。そこで更に出会ったのがJALの客室乗務員に内定(訓練の関係で夏入社)していたクラスメイト。彼女らに感化されたのは言うまでもなく、当時20年以上も昔は客室乗務員という仕事は女子に人気の職業だった。

しかしながら数打ったものの合格できたのは空港での仕事で、あとは全落ち。最終面接まで残ることもあったけど、結局私には何かが足りなかったんだろう。美形でもなく、スタイルも微妙、英語力はそこそこ伸ばせたもののペラペラには程遠い。タダで世界中行ける、動機が不純なのもバレていたのかな。笑!切り替えの早い私は地上で頑張ることに決めた。

空港での仕事と言っても部門はたくさんあり、私は「国際旅客」配属になった。飛行機で旅をするとき最初に会う航空会社の職員で、私はチェックイン業務、ゲート周りの仕事を主に担当し、数年後にアジア系航空会社の地上職員として、更にはDP(チェックイン前の下準備業務)、予約発券、到着時のバゲージのLost&Foundなども担当した。女社会なので、きっつい先輩や同僚は沢山いた。OJTの時に間違えるとキーボードの【Esc】ボタンを無言でパカーンと押されたり。でも学生時代は運動部で体育会系だったのと、同期が最高だったのでなんとか乗り切れた。そうして何年か働いた後、現地採用枠でタイにある空港で働くチャンスが巡ってきた。28歳目前だったので、それまで私の進路に対して何も言わなかった母がとうとう言った。「あんた結婚する気あんの?」あるよ、でも海外に出たかったし、環境を変えたかった。反対しても言うことを聞かないのは知っている母は結局送り出してくれた。

タイの1年目は本当にきつかった。3か月目くらいに食中毒で入院したし、日本の航空会社だから基本的には日本人旅客のお世話のはずなのに、可搬(トランシーバー)はすべてタイ語。プライベートでタイ語学校にも通った。ちょっとずつタイ語も分かるようになって、生活もどんどん楽しくなったけど、唯一きつかったのが24時間シフト勤務。長い時は14時出社で翌朝10時上がり。仮眠室で仮眠は取れても1~2時間。これに夜勤手当や時間外労働手当が付くわけでもなく、日本人なら誰もが知っているであろう日本の航空会社なのに、現地採用やローカルタイ人には冷たく(本社からの駐在員にはとても手厚い)辞めるきっかけのひとつになった。結局なんだかんだで5年住んだけど。

GSという仕事は過酷な業務なわりに待遇が劣悪。やりがい搾取も甚だしい。身を削って働かれる現役の皆様や今後航空業界を目指す若者の為にも、各航空会社、是非とも待遇改善の見直しをお願いしたい。


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