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果たして絵を描く必要があるのか

かれこれ30年生きてきて、あれやこれやに手を出し続け、
やっと見つけた絵を描くという自分ベースの才能。

描いて楽しく、描いたものを人に見せると褒められ、
それがエネルギーとなってさらに描くという
良きループでこれまでやってこれた。

それもあってか、絵を描くことをベースにコンセプトを考え、
人のために描こうと考えた結果、応援という部分に行き着いた。
ただ、応援をわざわざコンセプトにするのは、
あまりにも抽象的すぎるため、練り直し中。

現時点、いろんな角度から見つめ直しているが、
どうやら絵を描く前提で表現したいものを探している感じ。
あくまで絵というものは手段でしか無く、
根本の表現したいものがあって輝くもの。

なので、まずは自分がどうありたいか、
どう生きていたいかという自知の行為が必要。
以前、絵を見る人に自知の時間を提供すると言っておきながら、
自分自身この部分がバッサリ抜け落ちていた。
(日常においてよくある客観視力の欠落。)

この問いの答えによっては、絵を描くという行為すら
必要なくなってくる可能性が。
絵というやっと見つけたもののせいで、
見えなくなっていたのか、あえて避けてきたのか。

この問いに対する答えをまずは探すことを第一に、
これから進めていく。
その先に絵を描くという行為がないとなると恐怖しかない。
が、表現活動をするなら、避けて通れない道。

映像なのか写真なのか、別の何かか。
恐怖心を持ちながら、問いに立ち向かう次第です。

意見交換の重要性を実感した1日。謝謝。


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