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初演劇鑑賞「いつぞやは」

人生で初めての演劇鑑賞。
役者さんの巧妙な演技に、空間の演出。
全てが学びになり、刺激を受けた。
映画とは異^なる感覚で、しばらく癖になりそう。
気づきが多すぎたので、箇条書きで簡単に記録を残す。

・自分の属さない空間をじっくりと見れる新しさ
 日常では人の視線があり、まじまじと見れない。
 映画やドラマでは、どうしても自分も空間に入り込む。
 演劇は、自分と切り離された空間を見ている感じだった。
 そのため、感情移入がしにくく、冷静に見れるものであった。

・言動、仕草、目線で空間を創造出来る凄さ
 役者さんの演技力たるや。
 1つの空間しかないのに、そこにいくつもの空間が
 次々と作られていた。
 その凄さに圧巻されながらも、自分の所作にも気をつけて
 日常を過ごそうと思った。

・体自体もただの空間でしかない
 人と人との関わりで、その場の空間ができる。
 が、人の体もただの空間ではないかと。
 人と関わるときの表情、一人になったときの表情。
 これらは、体という空間がその表面を変えているだけ。
 魂というものが体という空間の中に入っているような。

・不確実さを取り込む表現
 ボールを投げては取って、を繰り返す演技。
 このボールを落とすかもしれないという状態を
 作品に入れても、作品として成り立っていた。
 絵を描く時に、全部を設計、言語化せずに
 余白を作るというのも1つの方法として良いと改めて確認。
 自分自身、決めつけすぎると面白がれず、窮屈だったので、
 気持ちが楽になった。

・生きていることが芸術という表現方法
 死を目前とした人を前に、ただただ片付けをするという表現。
 その日常にもある当たり前の行動に魅了。
 この作品で一番引き寄せられた瞬間。
 何よりも生きていることこそが芸術と実感。

・不自然さと自然さの織り交ぜ
 役者さんによって、自然不自然が割り振られていたように思う。
 おそらく、主人公を自然に、そのほかを不自然にすることで
 感情移入を図ったのかと。ただ、演劇自体が別の空間と
 捉えた身からすると、入り込みきれない不思議さが残った。

・空間の歪み
 いくつかの空間に区切られたいたのが急に1つになり、
 かたや1つの空間が急に分裂するなど。
 空間の使い方で、表現が格段に上がっていた。
 空間の奥深さ。

・映像と異なる手振りや身振り
 大袈裟な表現が多く、演劇と映画の違いを見た。
 個人的には、生身の人間を直で感じられる
 演劇の方が好みそう。人間という空気感が。

・光による演出
 調光するだけで、空間の顔色が大幅に変化。
 油絵においても、この光の使い方は真似したい。

・人間という生き物への興味
 やはり、人間というものを見ていて面白い。
 その温かみというか、親しみというか。
 人間がいる空間が好きなのかもしれない。

などなど、多くの気づきが。
見終わった後のなぜこのように表現したのか、
これは何だったのかという評論話も満開に咲いた。

絵を描いてるだけあって、製作者側の意図が非常に気になった。
表現方法は違えど、表現者としての根底は同じ。
今後もいろんな表現を見て、体感して、血肉にしていきたい。

そして、いつかは全ての人に来る死。
そこを意識しつつ、生きていることを噛み締めながら
日々しっかりと歩いていく。

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