答えが10を超える足し算
夏休みだ。小学1年生の息子には、国語の「読み声」(よみごえ:宮崎の方言および習慣)といって、教科書の音読のほかに、足し算引き算カードに毎日取り組むという宿題が出ている。
息子は、答えが10以内の足し算と引き算は両手を使って解けるし、手を使わなくてもすぐに答えられる場合も増えてきた。しかし、答えが10を超える足し算がなかなか難しいようだ。
私は普段あまり息子の勉強を見てやれない。宿題は放課後デイで終わらせて来るので、勉強はほぼ学校と放課後デイに任せている状態だ。しかし、夏休みになってこうして毎日一緒に取り組むようになって、さすがに気になってきた。
「算数の教科書を持っておいで」と息子に伝え、学校でどう教えているかを確認する。どうやら、〇を書いていって10のかたまりを作る解き方をするらしい。たとえば、5+8=10+3=13という考え方だ。「小学1年生でけっこう高度な考え方を教わるんだな」と感じる。
息子は、答えが10以内の足し算をする時でも、5のかたまりを作るという発想がない。1つずつ指を折って数えている。その息子が、10のかたまりを作るのはなかなかむずかしいだろうなと思いつつ、白紙に〇を書いて解き方を教えた。
途中、息子は泣いた。分からなくて悔しくて泣いた。でも、諦めずに取り組み、できるようになった時は心底うれしそうだった。私はその笑顔を見て、「一緒に取り組んで良かった」と感じ、「息子の学習を支えるには、私自身が精神的余裕を持っていないとな」と考えた。
子どもの学力は、親の精神的余裕に紐づくのかもしれない。
この先、学習面でもそれ以外でも、息子と私はたくさんの「できない」に直面するだろう。その時、まずその事実を一緒に受け止めたい。「できないねぇ」「むずかしいねぇ」と寄り添える私でいたい。
「できない」からこそいいことだってあるだろう。器用に「できてしまう」ことで失ってしまうものだってある。たとえば「やりたい」より「できる」を優先してしまうことは、世の中にあふれている。それが悪いとは言わないけれど。
「できる」も「できない」も、もろもろひっくるめて親子で楽しみたい。「できない」から「できる」になったりならなかったり、その過程も楽しみたい。つまり、なんだっていい。息子は今のままで十分はなまる。私だってよくやっている。みんなはなまるだ。
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