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『断片的なものの社会学』を読んで

 生きる間に蓄積されてきた悲しみが癒されていく。そんな感覚を与えてくれる本と出会いました。


 『断片的なものの社会学』。社会学者の岸政彦さんが書いたもので、2015年に出版されました。

 筆者はこれまで社会学者として、たとえば風俗嬢や大阪のおばちゃんなどあらゆる人の語りを聞いてきました。この本には筆者の記憶に残っている語りの断片や、それらが想起させるものについて書いてあります。

 帯にある「ひさしぶりに、読み終わるのが惜しいような本に出会った」という上野千鶴子さんの言葉が表すように、どの章も大事にじっくり読み進めたくなる本です。


 中でも私は「土偶と植木鉢」という章が好きです。

 ここでの「土偶」とは、筆者の友人である朝鮮学校の美術の先生がつくる作品のこと。その方は「生きて動いているよう」ににこにこ笑う同じ形の土偶を、毎日焼いています。それはさまざまな人のもとへ買われたりもらわれたりしていきます。

 この章には「植木鉢」も出てきます。それは大阪のおばちゃんたちが玄関先に置いている植木鉢のこと。彼女たちはこれを話のきっかけにしたり、植木鉢そのものを誰かにあげたりします。そうすることで他者と関わっている、というお話です。

 この「土偶と植木鉢」の章を読んで、とりわけ自分の手でものをつくりたいという思いになりました。私は文章を書くことが好きで、言葉に割と執着しています。しかし、ものを介して他者に世話を焼く、ものを介して他者の側にいるというのも素敵だなと感じたのです。

 筆者が書いているように「言葉というものは、単なる道具ではなく、切れば血が出る」おそろしいもの。わずかながら私にもその自覚があります。


 筆者は取るに足らないと思えるようなことをよく覚えています。その事々はきっとその心にずっと大事にしまわれていたもの。それを私たち読者に大事に話してくれている。その事実が私の心を落ち着かせてくれます。

 筆者は語ります。「私たちは(中略)、私たちのなかでそれぞれが孤独であること、そしてそこにそれぞれの時間が流れていること、そしてその時間こそが私たちなのであるということを、静かに分かち合うことができる」と。

 この本を通して、心のやわらかいところをなでられるような気持ちになり、生きてきた時間の断片、出会った人や出来事をぽつりぽつりと想起させられました。読み進めながら、生きる間に蓄積されてきた悲しみが癒されていく気がしました。

 もう6年前の本ですが、部屋の片隅に御守りのように置いておきたくなる本です。



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