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「療育」への感謝とモヤモヤのはざまで ~2021年の出会い~

この記事は「書く」とともに生きる人たちのコミュニティ「sentence」のアドベントカレンダーに参加した記事です。お題は「2021年の出会い」。みなさんは今年どんな出会いをされたでしょうか。しばし私の出会いにお付き合いいただけたら幸いです。

 「療育」という言葉を聞いたことはありますか? この記事は子どもが療育を受けることになった親としての一つの体験記事です。私が療育について以前抱いていたイメージやなぜ療育を受けることにしたのか、実際に受けてみての感想について書いていきます。

 お子さんが療育を受けている/受ける予定だという保護者の方や、療育に関わる支援者の方に「こんな体験もあるんだな」と知ってもらえたらうれしいです。ではしばしの間お付き合いくださいね。

療育との出会い もともとは良いイメージを持っていなかった

 うちの子が宮崎市の発達支援センターで「発達障害」の診断を受けたのは昨年(2020年)12月のことでした。それまで私は「もしかしたら診断がつくかもしれないけれど、実際にはそれほどではないだろう」と思っていました。

 診断名がついたことで、それまでの育児の困り感に裏付けがなされたような何か解消の糸口が見つかったような気持ちになりました。一方で「ほんとうに診断名がつくんだ」という驚きもありました。

 年が明けて今年(2021年)1月、地元の小児科で再度診察を受けました。それに伴い、春からその小児科で行われている療育に通うこととなりました。

 療育とは、

"心身に障害をもつ児童に対して、社会人として自立できるように医療と教育をバランスを保ちながら並行してすすめること。東京大学名誉教授の高木憲次(1888―1963)によって提唱された概念で、「治療をしながら教育する」ことがたいせつであるという意味合いが込められている。”

と小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』には書かれています。

 担当医に療育を案内されたときはそれを素直に受け入れ、通うことを冷静に決めた私でしたが、もともとは療育に対してあまりいいイメージをもっていませんでした。どういうイメージを持っていたか。それは一言でいうと「怖さ」を感じていたのだと思います。

 唐突に聞こえるかもしれませんが、私は子どもの持つ力を信じています。子どもは自分でその能力を伸ばしていく力があると考えています。だから私が子どもに関わるとき、子どもの持つ能力を押さえつけたり力でねじ伏せないように、それだけは避けるようにしてきました。(常にできていた、と胸を張ってはいえませんが、気持ちだけはありました。)

 療育というと、子どもを矯正されてしまうというイメージを勝手に持っていました。療育とは上述したように、「治療」と「教育」の意味があるのですが、その二つの言葉の強さに身構えてしまっていたのだと思います。子どもを型にはめるための不自由なものという偏見を持っていたのです。今思えば、要するによく知らないまま遠ざけていたのだと思います。

不安があったのに療育を受けることにした理由 友人との出会い

 そんな私が子どもに療育を受けさせることを決めたのは、ある人との出会いが大きいです。彼女はひと足先に同じ小児科で療育の一つである言語聴覚療法(Speech Therapy:ST)と作業療法(Occupational Therapy:OT)を体験し、事あるごとにその良さを私に語ってくれていました。

 「子どもへの接し方を教えてもらえる」「子どものできることが増えたときに一緒に喜んでくれる」などです。子どもへの接し方に苦手意識があり、子育てについて孤立感を感じたこともあった私は、それを聞くうちに「そんなメリットがあるんだ」と療育への警戒心を少しずつほどいてゆきました。そういうわけで、小児科の先生から案内を受けたときには「とりあえずやってみようか」と気持ちが良い方へ向いていきました。

療育を実際に体験してみて 良かったこと

 良かったことはたくさんあります。療育は子どもがより社会で生活していきやすくなるためのトレーニングで、まず挨拶から始まります。相手の目を見て「こんにちは」と礼をすること、使いたいものがあるときは「使っていいですか」と聞くなどソーシャルスキル・トレーニング(SST)を取り入れて進めてくれます。

 SSTとは、

"社会で人と人とが関わりながら生きていくために欠かせないスキルを身につける訓練のこと”

https://snabi.jp/article/31

を指します。

 うちの子は衝動が強く、何かが欲しいと思うと、それを言葉にするより前に手が伸び、私は驚くことが多々あります。親でさえそうなのですから他人ならなおのことでしょう。そういうときに、SSTが生きてくると私は考えています。

 そしてとにかく一つ一つほめて伸ばしてくれる。親とは違う大人からほめられる経験は子どもにとっても大きな経験だと思いますし、それを見ていて親も「『ほめて伸ばす』というけれど、具体的にこういうふうにほめるんだ」と分かります。

 子どもの接し方があまり上手ではない私でも、先生方の子どもへの接し方を見ていたら具体的にどうしたらいいか分かって勉強になるのです。

 それは言葉一つとってもそうです。その子に合わせた伝え方を知ることができます。たとえばうちの子の場合は「なぜその行動はよくないのか」、「実際にどのようにしたらいいのか」、具体的な理由と対策を伝えるといいと教わりました。

 いくつか書きましたが、一番いいのは次のことです。療育中、親子は同じ部屋に入り、子が先生と一緒に作業しているのを親は少し離れたところで見ているのですが、それがとにかく可愛いんです。それには理由があって、安心してほかの大人に、それも専門の知識を持った人に子どもを任せていられるという状況で自分の子どもを見るのは、親もリラックスできるんです。

それでも抱えているモヤモヤ 就学・学校適応が前提の療育

 しかし療育に対して今でも解消できていないモヤモヤがあります。最近、子どものリハビリ診察、いわゆる「リハ診察」といって、ふだん言語聴覚療法(Speech Therapy:ST)や作業療法(Occupational Therapy:OT)で指導してもらっている先生ではなく小児科の先生に見てもらう機会がありました。

 そこで改めて感じたのが、少なくともうちの子が受けている療育は、社会で子どもがより生きやすくなるためというよりも、子どもが学校でうまく適応することを目標にしているんだなということです。

 リハ診察の日、私は「就学時には約8割の子どもがカタカナまで書ける状態です」「支援クラスでも、学習進度自体は普通クラスと同じです」と説明を受けました。うちの子は手先が不器用で書字が不得手です。

 先生の説明を聞いて「まるで一斉に同じ地点からスタートしなければならず、その先もみんなに追いつくために必死に努力しなければならないと宣告されているようだな」と私は感じました。

 一般に敷かれたレールというものがあるとすれば、レールからそれた生き方をしている大人は増えているように私は感じます。そもそもレール自体がなくなってきている時代なのかもしれない。なのに、子を取り巻く環境はこんなに小さいうちから「うまく既存のレールに乗れ」と言っているかのようだなと子のこれからの大変さを思って胸が痛くなりました。

 療育の良さは理解しつつ、ゴールを就学や学校での適応に持っていくことを変え、もう少し長い目で見守ることはできないものでしょうか。あるいは支援の必要な子どもたちがよりリラックスして通えるような学校にもっともっと変わっていってもらいたい。就学に向けてひとりの親として切に願っています。

 それにしても、一年間、子はよく頑張りました。保育園でお昼寝中の眠い時間帯に起こされて隔週で療育に通い、40分のトレーニングを2本受けるのです。ほんとうによく頑張りました。私も送迎・付き添いを頑張りました。二人ともえらい。まだ来年3月まで療育は続くので、残り少ない機会を大切に通いたいと思います。

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