【感想】音楽はすごいし、音楽がすごい。 『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:』

ぼざろは原作未読、アニメ未視聴。Re:/Re:Re:しか観てません。アジカン好きですが、基本曲を聴くだけでバンドとしての変遷等、特別詳しいわけではありません。その上で好き勝手言ってます。ご容赦ください。




作品全体の感想

なんてったって夏

本作は前作のRe:のライブシーンから始まり、その後夏休み最終日まで飛ぶ。最終日に結束バントのメンバーで江ノ島へ行くパートが入るわけであるが、(台風を含めないと)珍しく季節感のあるイベントだったので、「彼女たちもちゃんと1年という時間の中で生きてるんだなぁ」と謎の実感を得てしまった。また、このパートである程度メンバーの個性を掴むことができ、(そんなに多くはないと思うが)初見の方にもある程度配慮した構成になっていたのではないかと思う。

余談だが、私は首都圏に住んだことがないので、「江ノ島に行く」という行為が気軽にできない境遇であった。遠出でもあくまで「お出かけ」に収まる感覚で江ノ島に友達と行けるのは純粋に羨ましいなぁと思った。かくいう私も陰キャなので、仮に首都圏に住んでいたとしても江ノ島に行く勇気が出るとは限らない


喜多郁代と後藤ひとり

本作はOPの段階をから喜多郁代にフォーカスした作品であることを明示していたように思う。そして、江ノ島の帰りの電車でそれが確信に変わる。
喜多郁代は友達が多く、明るい、いわゆる陽キャとして描かれているが、本質としては周りに合わせるのが得意というキャラクターであると私は解釈のしている(少なくとも終盤でバンド演奏に関してはそうであることが言及されていた)。

本作はひとりの成長物語であることはもちろんだが、人に合わせる喜多郁代が音楽を通じて一歩踏み込んだ関係性を構築する姿(成長)というものが本作では描かれていたと思う。

例えばひとりが捨てた出演申し込みを出してしまうところなんかは、正に合わせるとは真逆のことをしているわけで。しかし、合わせるという行為から外れつつもちゃんとひとりのことは想っているわけで。
後は、、、文化祭のギターソロのアドリブする所とか。あれは弦の切れたひとりを助けると同時に、郁代の自己表現でもあったのかなぁと思う。素をさらけ出すみたいな。ソロってそういう部分あると思うし(バンド組んだことないからわからんけど)。
また、ギターソロを全部やってるんじゃなくて途中ちゃんとひとりにバトンタッチをしている。
弦が切れようとひとりならなんとかやってくれるという予感があったのか私にはわからないが、一歩深いところで彼女が人と通じ合えた場面だったのかなぁと思った。


ライブシーンの音

とにかくライブシーンがよい。
これは珍しく私が2回映画を観に行った理由にも当たる。通常、私はストーリーが分かると満足してしまうため、映画は1回しか観ない。しかし本作は、映画館という空間で音を聴くということ自体に価値がある。
誰がどの楽器を弾いているかというのが映像と音がリンクして感覚として伝わってくる。こういう体験はやっぱり映画館じゃないとできない。

個人的にはSICKHACKのライブシーンが好きかな。純粋に音楽体験として楽しい。


ラストシーンについて

終わり方は初見では「え、これで終わるの!?」という感じだった。
ひとりが家から出て高架下を過ぎ、電車に乗り、「今日もバイトかぁ……」と言って映像が巻き戻り、幼少期のひとりが映し出されEDへ。
※「今日もバイトかぁ……」というタイミングは高架下過ぎる前だったかも。よく覚えていない。
※なんか既視感あるなぁと思ったが、僕だけがいない街のopだ。

そして流れ始める『Re:Re:』。
エンディングが『Re:Re:』のカバーということは事前に知っていたが、素晴らしかった。間奏のギターがエ◯すぎる。
ひとりも郁代も虹夏もリョウも恐らく"待っていた"のだ。
しかしそれと同時に、グロくね?
とも思った。

『Re:Re:』は(アジカン詳しくないので違ったら申し訳ない)たぶん別れた後の曲だ。
今回の劇場総集編2作では彼女達が出会ってからの約半年間が描かれた。私は原作未読なので今後彼女たちがどうなるかはわからないが、やっぱり通じ合った彼女達でも別れる可能性というものはあるのだと思う。
それがEDで示唆されたように感じられ、私はグロくね?という感想を持つに至った。

でも、そういう可能性がある事自体。もっと言えば、「今日もバイトかぁ……」って言えることは幸せなことなのかもしれない。

押入れに引きこもりギターを引き続けていたならば、「今日もバイトかぁ……」という台詞は出てこない。また、一度でも結束できたということはひとりにとっては紛れもない成功体験である。


最後に

Reという言葉には3つの意味があるらしい。

・再び
・後ろ
・反対

ラストでひとりがぼっちだった幼少期まで後ろに遡ったわけであるが、それは過去を覆す(≒反対)ような今後の活躍(もうぼっちじゃないから十分覆せてるけど)の示唆であると曲解して、本記事を終えたい。


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