日本人以外の人のためにも日本文化の継承は必要
最近、「文化を守ろう」が理解できてきた気がします。
「文化」という、”説明し難い言葉”を「守る」と言われると、「ん?」となる人の方が多いのではないでしょうか。
結論として、ジャパニーズスタイルが気に入らない日本人もいるし、すごく好きな外国人もいる。
彼らのためにも、選択肢を広げるという意味で、日本文化に限らず、あらゆる文化を守ることが大事なのでは無いか。
そして、日本人らしさが日本人のためだけに存在しているのでは無いのと同じように、自分らしさも自分以外の誰かのためにも存在しているのではないか、という自論を語るnoteです。
それでは、どうぞ。
文化は無意識の思考や行動
文化とは、その人をその人たらしめる、無意識の思考や行動だと考えています。そして文化は、他者がいて初めて成り立ちます。
自分以外の誰かがいないと、『礼儀』なんてものも生まれなかったのではないでしょうか。
そして、なぜ文化を大事にするのか、というと、それは日本人を日本人たらしめるアイデンティンティだと考えています。
日本人のアイデンティティは、日本以外という外国があって初めて認知されます。
茶道などを日本の文化だと紹介したのは、福沢諭吉だと読みました。
明治に諸外国(特にヨーロッパ)との関係性が深まるにつれて、「アジア」と一括りにされる日本人のアイデンティティを保つためには、日本人が日本人である所以、「日本文化」を定義する必要があったと。
ただそれは、単純に日本を一つにまとめるためだったのではないかと、私は思っています。
戦いに負けない強固な国を作るには、意識を一つにまとめる必要があったのではないかと。
日本文化が「世界に誇れる良い文化だ!だから守るべきだ!」という観点とは、違う観点で、文化を見ていきます。
「らしさ」とはなにか
『人間らしさ』『日本人らしさ』『自分らしさ』
「らしさ」とはなんでしょうか。らしさとは、アイデンティティだと、文化だと思います。
人間は人間以外の存在があるからこそ、人間らしさを定義できる。そして、人間でありたいと思う人の方が多いのではないでしょうか。
次に、『日本人らしさ』
「日本人らしく在りたい」
そう思う人も多いでしょう。だからこそ、「日本文化を守っていく必要がある。日本人を日本人たらしめる、我々のアイデンティティの守るために必要なんだ」と。
私もそう思っていましたが、これは視野が狭かったなと反省しています。
日本人らしくない日本人もいる
なぜかというと、「日本人らしさ」というのは、日本人のためだけに存在していないと気付いたからです。
日本人らしくない日本人もいるし、日本人らしい外国人の方もいます。
つまり、「日本人らしさ = 日本文化」とは、多様性の確保=選択肢の準備に必要なんだと。日本文化を残す意味は、ここにあると思っています。
決して、《日本人のためだけに存在しているわけではない》という点が重要だと思います。
日本文化を残すことは、日本人以外の、世界中の日本人らしい人にとって必要なのだと、そう思います。
カルチャーというより、スタイルと言ったほうがいいのかもしれません。
ジャパニーズスタイルを好む人にとって、選択肢として存在しているという点が重要なのです。
選択肢のない世界(=画一的な文化しかない世界)では、幸せな人もいれば、不幸せな人も出てくるでしょう。
そういう不幸せな人を出さないためにも、世界中のあらゆる文化を守ることが、選択肢の幅を広げる意味で重要なんだと思う。
では自分らしさとは
自分らしさとは、自分が無意識にしている思考や行動だと考えておけば、そこまで問題は無いと思います。
でも、日本人らしさで言及した通り、実は自分らしさとは、自分のためだけに存在しているのではなく、他人のためにもなっているのでは無いか?と思うのです。
「自分らしさ」をみんなが失うと、画一的な「らしさ」を持たない、つまり、選択肢の少ない世の中になります。
そうなると、自分が一緒にいて心地の良い人を選べなくなる可能性も高く、それは幸せなことなんだろうか、と。
つまり、自分らしさとは、自分のために存在しているように見えて、他者のためにもなっているというのが自論です。
だからこそ、個性も守っていかないといけない。
もちろんその個人が幸せになる点でもそうだし、先述したように、他者が幸せになるという点においても重要なのではないでしょうか。
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