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いただきます Bismillah بسم الله

いつも心地よく聞かせていただいているポッドキャスト「ごはんとみそしる」。わたしにとってのごはみそタイムは、心身の保養と魂の養育、そして内省と内観の機会を与えてくれる大切な時間。

聞き始めた経緯についてはまたいつか改めることとして、今日は「ごはみそ」のきょんさんが「どうなりたいかよりもどう在りたいか」の中でお話しされていた内容を受けて、わたしなりに日ごろから感じていることや今日新たに感じたことを、自分自身のためにもと思ってここに残してみます。

肉食とは一体どういったことなのか?の問いに向き合うチャンスが過去にあった人、なかった人、まだなかった人、きっとずっとない人、なくってもいい人、いろいろだと思う。わたし自身について言えば、たまたまあったし今もずっとある、というのが一番近いかしら?と思う。

思い出せる限りで一番最初にそのことに対峙したのは、もの心ついたばかりの幼いころだった。当時、家の玄関には大きな水槽があって、その中で美しいエンゼルフィッシュがきらきらと泳いでいた。

そしてそのころ、家の近くにマクドナルドができたばかりだったのか、“てんやもん”や冷凍食品を食卓に出さない母が、なぜかマクドナルドにはよく連れて行ってくれた。わたしはフィレ・オ・フィッシュを好んでいつも注文してもらっていた。そしてわたしはこの魚フライを、形が四角いという理由でエンゼルフィッシュだと思っていた。つまり幼いわたしにとって、玄関で泳いでいる綺麗な四角形のお魚は、フィレ・オ・フィッシュがフライではない時の“またの姿”だったのだった。そして当時のわたしにとって、そこにまったく矛盾も疑問も葛藤もなかった。多分、小さ過ぎたおかげで、どちらも単に「目の前に現に在る愛しい存在」でしかなかった。

それからもう少し大きくなり、町内の企画か何かで地引網を体験した。網をぐいぐい引っ張っている記憶と、砂浜で父兄が大きなお鍋で炊き出してくれたお味噌汁を食べている記憶。このふたつのイメージのかけらが今でも鮮明に思い出される。お椀の中にお箸をつっこんでつまみ上げたもの、それが味噌で濁った不透明な水面下から現れたときに泣きそうになった。たまたま魚の頭部で、虚ろな目玉に突き抜けるように睨まれたのだ。この出来事があまりにもショックで、それからしばらく魚が食べられなくなった。おぞましい体験として子どもの心にしばらく残った。魚よりもお肉の方が好きになったのは、もしかしたらそれがきっかけだったのかなと思うことがある。

今でこそ、お肉もお魚もどちらも大好きな大人になった。それでも、今日の今日まで肉や魚を食べることについて、その本質的な意味に向き合うことは忘れないように心がけている。



モロッコに移り住んだばかりのころ。最初に暮らしたのは田舎町。肉屋はあってもスーパーマーケットというものがなく、その肉屋には四つ足動物のお肉しか売っていない。鶏肉が食べたいのであれば、週に1度だけ立つスーク(市場)で鶏をまるごと1羽買わなければならなかった。

柵の中で動き回る生きた鶏の中から欲しいものを選ぶ。生きたまま持ち帰る人、チップを払って鶏屋さんに絞めてもらう人。わたしは後者だった。動物と食べ物の中間のような生暖かいものを大事にパニエに入れて持ち帰り、いよいよ食べ物へと最後の変換をすべく自宅で小分けにして冷蔵庫に保管する。今の今まで生きていた鶏の命を自分の命へと変えさせてもらう瞬間。それが肉を食べるということにほかならないと思う。

そう、それこそ「いただきます」を口から発すべき理由。それはすなわち「お命いただきます」ということだという事実。


イスラム教徒は食事をいただく前に、「ビスミッラー(神の名において)」と言って食べ始める。わたしはこの言葉がとても好き。

モロッコをはじめとするイスラムの国々では、神に生贄を捧げる宗教儀式「犠牲祭」が年に約1回ある。一家に一頭の羊を屠り捧げるのは、イスラム教徒の義務であり務め。その日その時が来ると、生きた羊の頸動脈に刃を入れて、大きな身体が息絶えるのを見届ける。

人の生命の終わりの瞬間に立ち会ったことのないわたしは、自分よりも大きな哺乳動物から命が消える瞬間を見るのは、おそらくこの犠牲祭が初めてだった。その瞬間は、視界がチカチカして気を失う寸前だった。

モロッコの子どもたちは、自分たちが口にするお肉が一体どこから来るのか熟知している。肉だけではなくて動物の内臓も骨や骨髄、脳みそについてだってよく知っている。わたしはこの点に関しては、食育の観点でモロッコから大切なことを多く学ばせてもらっていると思っている。


それと同時に、この場を借りて密かに包み隠さず告白するとすれば、逆に引っかかることもある。モロッコ人やイスラムの方々に率直に伝えることは、今のわたしにはまだ難しいけれども。

わたしが感覚的に違和感を覚えるのは、肉は肉でしかないとでも言うがごとく、食べる部位以外をあまりていねいに処分しないこと。犠牲祭の日のマラケシュの街は、至るところで残骸がゴミ捨て場から沿道に溢れかえっていて悲しくもあり虚しくもある光景が広がる。

モロッコでは動物を愛玩するという概念や感覚がそもそもそれほどないことで(最近はペットを飼う人も見かけるようになったとは言え、それでも日本と比較してみたときに)動物を家族として位置付ける感覚があまりない。そこにゴミ捨てマナーのいかんが起因するのかどうかを同定してしまうのは早合点かも知れないし、モロッコでの動物と人間の自然体な関係性に好感を持つこともしばしばある。とは言え、この状況からは動物への敬意は残念ながら感じられない。

そもそも犠牲祭は動物や食べ物への感謝にフォーカスすることは主眼ではない。神への畏敬の念こそがすべて。それを承知だからこそ、犠牲祭の前後にはしばしば街を離れる選択をする。羊を生贄に捧げることよりもずっとずっとずっと、肉食に対する意識とメンタリティがまざまざと投影された光景を見ることはわたしにとっては重たい。


かと言って、子どもたちはいつかは屠殺して食べることを前提として飼っている家畜をよくかわいがっているというのもまた確かな事実で、それは幼かったころのわたしがエンゼルフィッシュをマクドナルドで食べていた感覚と、もしかしたら少しだけ似ているのかも知れない。


そしてもうひとつ、皮を回収して回る業者の存在も忘れてはいけない。こういった皮から取る羊毛で作られた“ウール”の絨毯もあることはある。こういった絨毯は生きている羊から刈った毛で織られた絨毯とは区別されて、スークで安価で売られている。グレードも質も悪いものとされているものの、見て見ぬふりはできない世相を写す品だと思う。





最後にここで自分自身についてこそ言及しなくてはならない。

わたしは羊の革を素材にものづくりをしていて、それを生業にしている。羊たちにはお肉を食べること以外の面でも、さらに命を繋いでもらっている立場。その事実を棚に上げることはできないし、羊たちに足を向けて寝ることもできない。

羊の「革」と書くとき、それは素材のことを表す言葉。そう、レザー。わたしは「皮」と書くことに抵抗がある。それでも自分たちが作った革のアイテムを手に取っているとき、動物を愛でているような不思議な気持ちがある。これはぜひお伝えしたい感覚であり切実な想い。マラケシュの作業台でわたしが触っているすでに「革」になったそれは、心情的にはいまだ「皮」なのだ。そしてそれを長く愛おしんでいただき大切に使っていただいていることをふとした機会に知るときこそ、それがそのままわたしの感謝と歓びの気持ちになる。

所詮は「諸行無常」のこの世界で、わたしたちは何を大切に日々を過ごしていくのか。自分の仕事を通してそんなことをどこかの誰かと共有できれば、それがわたしにとってのスムスム冥利。

皮と革。わたし自身の中で今後より深く向かい合うべき未解決かつ核心的なテーマ。永遠に答えは見つからないままかも知れないけれども、そのことをしっかり胸に受け止めながら精一杯の敬意と誠意と感謝を込めて働き、食べ、毎日を暮らしていきたい。


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