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両親に会えるのはあと何回?【#書く習慣】

両親に会えるのは、両手で数えられるほどかもしれない。

石川の実家から埼玉に帰る車中、
ふとそんなことを思って涙が止まらなくなってしまった。
39歳、めっきり涙もろくて困っちゃう。
想像だけで泣けちゃうなんて、我ながらどうしようもない。

昨日、石川の実家から埼玉の自宅に戻ってきた。
旦那や子ども達も一緒なので、長居はせず、滞在期間は4泊5日。
あっという間だった。

結婚と同時に石川から東京→埼玉へと移住し、以来、両親に会うのは年に1度だけ。

夏休みに家族を連れて車で帰省するのが我が家のスタンダード。

冬休みに帰ることはない。
雪深い石川に子連れで帰るのは何かと大変だし、スタッドレスもないからね。

だから帰るのは夏休みだけなのだ。

スイカを頬張り、一面のひまわり畑に心魅せられ、
夜は父さんと晩酌。両親に孫の顔を見せられ、充実した4泊5日だった。

埼玉に帰る日の朝はなんとなくセンチメンタルな気分だった。
しかしさすがに親の前では泣きたくなくて、別れの挨拶はあっさりと。

「んじゃ父さん、母さん元気でね〜またLINEするね」

両親も「はいはい、気をつけて」と普段通り。

次第に小さくなる両親を横目に、ひたすら平静を装った。

しかし、車が高速道路を走り出したところで、ふと思った。

年に1度の帰省で、両親にあと何度会えるのかと。

父は70歳。
母は67歳。
仮に80歳まで生きるとして、会えるのは両手で足りる程度かもしれない。

長生きしてほしいけど、脳梗塞を2度やってる父がどこまで元気に過ごしてくれるか。
今は元気でも、母も気づけば70手前。
若くはないのだ。

あと10回、15回、いや、長生きしてもらって20回。
多くても20回か…。

時間が有限であることを悟ったら、もうだめ。
車窓から見える山々に魅せられ、なおいっそうセンチメンタルモードに。

旦那が運転する横で涙が止まらず。
しかし旦那に悟られないように、窓に顔を向けて静かに泣いた。

帰る日の前日、母からこっそり封筒を渡された。
中身を見ると、十分すぎる交通費。

要らんのに。
要らんて、母さん。
いい歳の子どもが帰省するのにお金など要らんよ。

「母さん困るよ、今後帰省しづらくなっちゃうやん。」
『いいのよ、お父さんと話して決めたの。』
「決めたのって言われても要らんよ。旦那にも怒られちゃうよ。」
『だからM君に伝えるのは、高速道路に乗ってからにして』
「要らんよ。年に一度程度だし、大した出費じゃないから」
『大丈夫だから』
「何が大丈夫なのよ」
『いいの。また元気に遊びに来て』
「んじゃこれ母さん達が埼玉に来る時の費用に充てる。だから母さん達もうちまで来てね」
『はいはい』

そんな押し問答があった。

お金を気にせず気軽に帰ってきてほしい。
親として、そんな想いがあったのだろうか。

母さん大丈夫だよ。
旦那も私もそれなりに稼いでいるよ。
高速代など、さほど大変じゃないよ。

だけど親にとって、私は子ども。
39歳でも子どもは子どもなんだろうな。

子どもに何かしてあげたい、その気持ちだけだったんだろう。

帰りの車中、母とのそんなやりとりまで思い出してしまって、また涙が出てきて止まらない。

親孝行せねば。埼玉の何か美味しいものでも送ろうか。
私だけでも正月は帰るようにしようかな。連絡ももっとマメにしなくちゃね。

親のありがたみを感じた、そんな帰省でした。

なんてまとまらない文章なのだろう。
まぁいいか。練習だもの。
さぁ、洗濯でも干そうかな。



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