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”自己肯定感を上げる”ってなんだろう

お世話になっております。
たらたら長文系Blogに定評がある、柊屋のひらぎです。(笑)

noteでは、Instagramではあまり語ることのないこともアウトプットしていこうと思っています。こいつ、こんなこと考えてるのか〜ということが垣間見える場所です。気が向いた方は、楽しんでいっていただければと思います。

さて、本題です。

会話で自然発生した自己評価の話

以前、アクセサリーデザイン作家同士の会話の中で「自己否定」と「自己肯定」の話があがりました。自分の作品に対してだったりそもそもの自分自身に対して、自信が持てず、認めていい状況でも「これじゃダメなんじゃ?」という疑問で不安になってしまうという、自己評価の置き場についてのお話から始まる根本的な思考の癖についてのお話でした。

これ、結構いろんな方と自然と生まれるトピックなので、きっと多くの方が悩んでいるのかもしれないと思ってブログにしたためる事にしました。

全く特別な資格があるわけではなく、完全に自分の体験と経験と読書などで得た知識に基づく持論のみで語ります。ご了承くださいませ。

自己否定と自己肯定ってそもそも何かというお話

自己否定も自己肯定も難しい言葉ですけれど、ようするに、自己評価…自分が、自分自身をどのように評価しているのか。そのあたりのことです。

自己評価の評価軸は人それぞれあると思うのですが、大きく分けると《良い》と《悪い》の2つになると思います。私はそこに<普通>も入れるべきだと思っています。この《普通》がない人は、自己評価が自然と厳しくなっちゃうので、是非、入れて欲しいです。《普通》。入れちゃいましょ。だって、《普通》ってめっちゃ大事です。

《普通》普通最高。
ここまで読んでくださった、あなたも最高。

自己否定というからには…

先ほどの評価軸に当てはめると、自己評価は《悪い》です。
そうなると出てくる発言は「私なんかが〜」とか「私なんて〜」とか「自分はバカだなぁ」あたりでしょうか。他にも色々ありますがキリがないので割愛します。

自分に対して、とにかく評価が低い。
「自分は運がない」なんてのも自己否定だし「私バカだから〜」もソレですね。コンプレックスがこじれて自分が嫌い!となるのも自己否定の末路じゃないかなぁなんて、思っています。

でもそれぐらい、自分がもっと良くなれるっていう可能性を信じてるんですよね。その向上心、素晴らしいです。

対して、自己肯定というのは

自己評価は《良い》になりますね。
「やればできるじゃーん!」「今日は頑張った!」
とにかくなんでもいいんですけど、現状に満足している状況。

な・ん・で・す・が。

私の主張は、《普通》もここに入るべき!というものです。
まず、肯定を辞書で調べます。

こう‐てい【肯定】
[名](スル)
1 そのとおりであると認めること。また、積極的に意義を認めること。「現世を―する」⇔否定
2 論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立すること。また、その関係を承認すること。⇔否定
小学館 デジタル大辞泉

「その通りであると認めること」とありますね。
《普通》は、良くも悪くもない状態…「悪くないです。良くもないです。まぁ、こんなもんです。普通ですよ。」とすました顔で否定せずに認めているので、肯定に入るべきです。

「まだ足りない…自分バカだなぁダメだなぁ。」は、完全に否定ですね。でも、「まだ足りないけど、ここまではできている。」というのは冷静な判断で、「まだ足りない」という状態も受け入れていて、「ここまではできている」と肯定していて「ダメ」と否定していない。

ちょっと自意識自過剰みたいって恥ずかしくなる人、いらっしゃる気がします。でもその感情、気をつけて!だって、それ、自己否定ですよ!(笑

そう、自己否定以外は、もう全部自己肯定でいいと思います。
おっけーおっけー!大丈夫大丈夫!

客観的自己評価はかなり難しいのが実際

とはいったものの。

自己啓発なんかでよく言われるのは、”自己否定をやめて自分に優しくなって自己肯定感を高めましょう!”なんて言葉だと思うんですけど…なにから始めていいのかさっぱりわかりません。自分に優しくってなにもの?

そこで、私の言い方でこれを訳すと

《悪い》と自分を評価する機会を減らして
《普通》か《良い》の2つの評価軸でやっていきませんか?

ということです。

だって、自己評価って結構レベルが高い技術だと思うのです。
3つの評価軸だと、自然と否定的になる人っていると思うんです。自分に厳しい人。そういう人って絶対積極的に《良い》を選ばない気がします。ドMですか?って聞きたくなるぐらい自分にドSです。もう、ドSが優しくすることがもう既にハードルが高い。

息をするように自然と否定的評価を自分にしていることが多い…そんな過剰な自己否定は自分で自分を不幸にしてしまうので、足を止めるべきなんです。だから、もう、最初からその《悪い》という評価軸、取っ払っちゃいましょう!?

わかってます。評価軸がなくなっても自己否定は消えないんですよね。息をするように自己否定が身に付いている人は、よくよく話してみると自己否定と謙虚と謙遜を混同していることがあるんです。さらには自己肯定感が高い人は普段から自信満々な言動をすると考えていることすらある。実際はそうではないにも関わらず…です。だから理想が高くなっちゃって、余計に自己否定に拍車がかかる。

まってまって、落ち着いてー!

自信のあるなし、人と比べて劣ってるか優っているか、そういうところは、関係なく、自信がない今の状況を「ダメ」と切り捨てずに「今はここ」と受け入れるのも、立派なこと。小さなことから自分を認めていくのを忘れがちなんです。

他人と比べる必要なんてないんです。
そんなことはどーだっていいんです、自分が自分を認められれば、他人の目なんて一瞬で気にならなく無くなりますから。

普通でいるのもそれなりに努力がいるんです。
普通ってすごいんです。

謙虚と謙遜は時に人を傷つけるので使い方注意

謙虚で自分の力をむやみに誇示しないことは、日本人の美徳とされていますよね。自信満々!という姿勢よりも好まれませんか。私はそこはとても素晴らしいことだと思うのですが、誰かから褒められた時の過剰な謙遜はあまり好きではなく…特に自分が、価格をつけて販売している物や事についての謙遜は果たして必要か?と思うことがあります。

「あなたのそのセンス素敵ね!」
「いやいやとんでもない…わたしなんてまだまだですよ」

この会話、一見当たり前にある会話ですし、確かに謙虚さはあるのかもしれません。ですが、そこに「(あなたの評価に対して)ありがとう」がないことに気づいていただけたでしょうか。この「ありがとう」のたった一言がないだけで、相手の評価を否定しかねない状況と、褒めていただいている状況を自分から否定してしまう状況が発生してしまうわけです。

良い物じゃないとおもって販売してるの?
じゃぁこの価格の根拠は?
いいとおもった私の感情はどうなるの?

相手の方、そんな不信感に繋がってしまいませんか?という話を冒頭で登場した作家様とお話ししたわけです。

「ありがとうございます!嬉しいです。でも、私自身ではまだまだだと思っているので、励みになります。今後も頑張ります」という謙虚さの方が、私は好きです。

なにより、相手の気持ちにまず感謝を述べる。それだけで、相手の気持ちを肯定していて、不思議と自己肯定もできているんです。

人から褒められた。嬉しい。

その気持ちを「いやいや私なんて」という気持ちを口にするまえに「ありがとうございます」と加えるだけで、すんなり喜びとして心に大事に宝物にしてしまっておけるんです。この違い、お分かりになるでしょうか。

ありがとうは、最強の魔法の言葉。
ここまで読んでくれてありがとうございます。

幸せ受入れ窓口に立ち塞がる敵
それこそが、「自己否定」

誰かに幸せになれる言葉や行動を投げかけてもらいたい!認められたい!という誰しもが強弱はあれど持っている承認欲求を抱え、そんな機会を求めていながら、頭の中ではその言葉を秒殺で否定してやろうとハンターモードでスタンバイしているのが「自己否定」という癖の恐ろしい罠です。

もし、目の前に、かぼちゃを馬車に変えてしまう魔法使いやランプから出てくる精霊が現れたとしても、「わたしなんかが」「わたしばっかり」の自己否定の精神立ち塞がれば、魔法は全く効果がなくなると思うんです。

どうでしょう。そんな経験、ありますか?

かぼちゃの馬車を目の前にドレスアップした自分を見て…
「とりあえず舞踏会に行ってみよう!」「行きたかった舞踏会にいけるわー!」「こんなドレス着てみたかったの!」と受け入れられて「私って灰だらけでみすぼらしいと思っていたしお姉様たちがブスブスっていうからそうだと思っていたけど…ちゃんとドレス着たらそれなりに見えるんじゃない!」と肯定できれば王子様とのダンスだって踊れる勇気も出ちゃうかもしれません。

「私なんかがこんなドレスをきて馬車に乗ったところで…」と思いがちな思考を持った状態で、王子様とダンスが踊れる切り返しの速さとメンタルの強さがある人は…いるでしょうか?まず、いないはず。

どれほど周囲が認めてくれる言葉や行動を送ってくれても、ハジからそれを否定してしまい、ともすれば「あの人が言ってることは建前・社交辞令etcかもしれない。」とか「あの人は元がいいから…」なんて勝手に人間不信モードにだってなりかねない…自己否定の癖って、幸せになれるタイミングを頭から潰してくるとんでもなく厄介な存在なのです。

でも、落ち着いてよく考えてみてください。
自分を認めることには消極的なのに、自分を否定するのは積極的なんです。それって面白いと思いませんか?実は積極性は完璧に備えているのですよ、すでに!情熱の強さだけは間違いなく完璧なんです。

素晴らしくないですか?
あとはその矛先を変えるだけ!それってもう最強確定じゃないですか!!

補足として。
これを外側から他者がやってくるのは、ドメスティックバイオレンス・ハラスメント案件だと気づいてください。遭遇しているのでしたら、その関係を断つべきです。ご自分だけで解決が難しいのであれば、各所専門家になんとしてでも相談してください。超大事です。

ひらぎのマイルール

私は、周りの評価は自己評価とは完全に切り分けて全部感謝の言葉で受け入れ、自己評価の参考にすることにしています。

私の大事な人たちが認めてくれている「私」という存在を、私自身の自己否定から守るために、自分で自分を褒めたり励ましたりするルールを決めて実践を続けているのですが、この方法、結構おすすめだと思います。

  • 自分の言動に責任をもち、結果生み出したものを簡単に否定しない、ただし改善点のピックアップや反省は良し。

  • 謙虚さは忘れず、かつ、誰かが認めてくれたら食い気味でも素直に喜ぶ。ありがとうは絶対に言う。

  • 失敗してもダラダラ後悔せず、反省は短く3秒ぐらい。夜は寝る。
    大丈夫にするために努力すればいい

自分の言動に責任を持つということは、簡単に自分で否定できなくなります。責任ってそもそも何?という自問自答問題が発生するからです。

実際のシチュエーションで例えてみます。

WEBデザインのコンペで自分の提案を自ら「つまらないもの」とへりくだったらビジネスにはなりません。「ここ!ここのところに御社のご要望の部分を盛り込んでさらにここのところ、めっちゃ気合いはいってます!」とアピールしなくてはいけないので、へりくだっている時間は1秒もありません。

手作りしたアクセサリーでも、価格をつけて購入していただくからには「つまらないもの」に価値はつけられません。口が裂けても「下手くそなんですけど」なんて言えませんし、「これをこう使ってもらったらこうなるといいなとおもってやってるんです!」とアピールします。

そうやって、責任を持って自分からアウトプットしたものを、褒めてもらえたら、それはもう有頂天です。(心の中で)ですから、ありがとうございますが食い気味に秒で口から勝手に出てきます(笑)

そうはいっても、どんなに責任を持った言動も、時には反省が必要です。それでも短く3秒ぐらいにと決めたのは、だらだら反省するのに意味がないからです。だらだらと時間をかけたところで、反省が後悔に変わり、そして自己否定になる。説教と同じで長くても効果は上がりません。むしろ私が思うに効果は下がります。時間の無駄です。

そして、夜の考え事は思考の敵です。
睡眠を無駄にしてまですべき思考は一切存在しないと信じています。太陽が出ていない間の考え事は、ろくな事がありません。寝た方が脳内の情報が整理される生態機能が働くので、よほど効率がいいです。

実際、クリエイティブ職で夜考えた提案は、翌朝起きて見直したり提出すると、大体手直しになります。一発OKはほとんどありません。一発OKできる方がいらしたら、おそらくその方はヴァンパイアか何か別の生命の方ではないでしょうか…素晴らしいです。
詳細をお伺いしたいので、是非ご連絡おまちしております。

自給自足で褒めちゃってOKです。

結論から言います。
「自分で自分を褒める」は、自己肯定の最強の道だと信じています。

自己否定は「褒められたいのに素直に褒められたくない」という天邪鬼な性質を持っています。つまるところ、褒められ慣れていないのです。
「う、う、うれしくなんかないんだから!」という謎のツンデレと不信感丸出しの野生動物のような性格を併せ持っているので、ナウシカとテトや、アシタカとサンの関係性のように、淡々と静かに根気強く付き合う必要があるわけです。

1+1=2って誰でも知ってるって思うかもしれないけど、それだって小さい時に勉強して知ったことなんだよ。

1+1=2って知らない人も世の中にはいるかもしれない。

すごいよ!1+1=2って知ってるの、めっちゃすごい!

だから、練習問題だって、テストだって、1問解けるたびに「解けた自分めっちゃすごい!」ってやるんだよ。

もしその問題が正解だったら「自分天才!」って言っていいんだよ。

私が中学のときに両親が雇ってくれた家庭教師が私に勉強の仕方を教えてくれたのですが、その時に熱弁してくれたのがこの話です。
これを、私は生活にもわりと小さく取り入れています。

褒められ慣れてない人は、おそらく自分で自分を褒めるのにも照れや戸惑いがあると思いますが、頭の中で考える分には誰にもバレないので開き直ってやってみてください。案外嬉しいのを実感すると思いますしちょっと楽しさすら感じられたら絶好調です。

朝起きた後に入れる紅茶は、よし、今日も起きれたえらいぞー。今日1日頑張りますかね。という朝アラームで起きれた自分へのご褒美です。(アラームを15分刻みで5こセットしていますが、それでも起きない時は全く起きません。)

外出した先で疲れれば、スターバックスにいって紅茶を頼みます。疲れを感じるまで頑張った自分を甘やかし、ご褒美で休憩します。「はー疲れた。頑張った。本当えらいわー」と思いながら窓際の席などに座ってぼーっと街ゆく人をみて「みんなも頑張っててえらいねー」と幸せのお裾分けを脳内でやります。

家にいるときは夕方になると家族で自然とできた「お茶の時間」というのがあります。私が夕方に紅茶を飲むルーティーンだったのに家族が便乗したのですが、買い物帰りだったり仕事帰りを待って紅茶の時間にするので自然と「今日もお疲れ様」という時間になりました。

ことあるごとに、小さな出来事でも「頑張ったな〜」「私えらいな〜」をやります。ちょっとへこたれた時は「そうだよねーしんどいよねー」と自分で自分を慰めたりもします。

ただし絶対に、脳内の中だけでも、しんどかった理由が誰かをきっかけにするものだとしても、その相手を貶めるような言動はしません。誰かに対する否定的な断罪思考の癖は、自分に返ってきて自分に対しても同じ捉え方をしがちになるからです。

許す許さないではなく、断罪しない。

当然、感じた怒りは怒りとして、悲しみは悲しみとして認めていいです。でも相手については深追いせず、可能な限り自分を癒すことに集中するのがおすすめです。

褒めるだけ。否定はしない。自分にも他人にも。

ちょっと、踏み込んで、きつめな話をします。

もし「あの人は私をバカにしてるかもしれない」という不安が頻繁に湧くのであれば、自分が誰かに対して無意識にそういうようなことを考えている可能性があるんです。

人を呪わば穴二つ
平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとするとき、呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来している。
ウィクショナリー

わたしはこの言葉は、比喩で、他人を害することも全てこれに当てはまると思っています。どうしてそう思うのか…

デザインの仕事に関わる以上、どうしても街中のあちこちにある、目に映るデザイン業務の結果を”評価”してしまいます。もはや、職業病です。

そのデザインを分析して、何が良いのか(時々あまりに素晴らしくて嫉妬すらしますが素直に嫉妬して頑張ろうって思います)、またはどこが問題でどうしたらもっと良くなるのかを積極的に「自分だったらどうするか」に落とし込んで考えるようにしていましたから、それが身についてしまっています。それでもなかなかデザインは上手くならないので本当にデザイン業というのは奥が深くて難しい…

そうなると、自分で作ったデザインにも常にそういう目線で分析するようになります。あえて、その時間を作るために、客観的に見れるようにするために、制作で慣れた目をリフレッシュするために一晩時間をあけて見直ししたりします。

そうすると、街中のデザインで「いやこれはダメだろ」と思わず口に出そうになった自分の感性に合わないデザインへのダメ出しが頭の中にリフレインすることがあって…そういうときは大抵自分のデザインにもそれが起こっています。「危ない危ない、ここはダメだ、直そう。気づいた私えらいぞ」とここでもご褒美タイムを入れます。(笑)

客観性を維持できるなら、問題はないのです。客観性がなくなると、自分を責め始めてループに陥るから問題なんです。「なんでこんなことにも気づかなかったんだろう」「私はなんてバカなんだろう」「私には才能がない」となれば、視野が急激に狭まって出せる能力も出せなくなるのが人間というものです。

これが自分の性格や容姿や言動になると、精神的負担は想像を遥かに超えます。常に誰かに見張られている気持ちになったり、自分で自分を罰しはじめます。

自己否定を改善するときに必要なのは、1人遊びの精神です。自分を客観的に見ることだけであって、他人はその世界に必要ありません。つまり他人を批判する必要すらないのです。

この差に気づくのはなかなか難しいとは思いますが、守るべきは、自分も含めた「断罪する目線」から自分を守ることなので、まずは自分から他人を断罪することを放棄してその分その状況を乗り切った自分を褒めましょう。

素晴らしいです、あなた!

いやー。
ここまでたらたらと長いこのブログを読んでくださるあなたも相当優しい素晴らしい方です。斜め読みだって最後まで読もうと思ってくださった方は何かしら気になる部分があったのでしょう…素晴らしい根気です。

ありがとうございます。

概念の問題なのです、わかりづらい話が多かった気がします。
もし「この辺はあなたどのようにお考えなわけ?」というのがありましたら是非ご質問ください。頑張って答えます。

コメントで直接ご質問くださってもいいですし、もし恥ずかしいようでしたら、匿名質問箱というものをご用意していますのでそちらを使っていただいても大丈夫です。

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自分の最大の味方であり最大の敵は自分です。
関係性は良好なほうがなんだって幸せです。
幸せになりましょう、幸せにしましょう、自分のこと!

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