私の最初の難関『理解』

1.病気になってからの最初の難関

私の人生は特殊なものだったのだと気付いたのは39歳になってからでした。
今の病気になって倒れてから2年半もかかってますが、未だにどこかでは他の人も同じ経験をしているのだろうと心の中で思ったりしてしまいます(そんなの聞いたことないよって大抵言われるんですが苦笑)
とりあえず夢を追いかけながらも、私ももっと頑張らなければとひたすらにこれまで足掻いてきました。

具体的な経験や引き金となったものは、後に長く短く語らせていただきますが、現在私は無職で2年半無収入です。
この年齢になった今、父からの仕送りで生きています。
そこについての罪悪感や情けなさ、申し訳なさ、不甲斐なさは常に感じていますし、もう(送らなくて、諦めてくれて)いいんだよと思うことも多々あります。
理想を言えば、私が親に仕送りをしたり、旅行に連れて行ってあげたり、色々したいのに、今は何もできません。

今現在の私の病名は
うつ病、PMDD、パニック障害、対人恐怖症、愛着障害、HSP、子宮内膜症や子宮筋腫、子宮ポリープ、甲状腺疾患などなど。。。アレルギーとか喘息とか書き出したらもう大変な感じですが、正直精神的なことに感してはもっともっと詳しく知りたいので、精神鑑定など含めてこれから心や頭の中の検査をしたいので、セカンド、サードオピニオンも最近考えています。それだけ、自分を知り、自分をコントロールする術が必要であると、ここ2年半で気付きました。
今は薬がないとコントロールできないからです。

これだけ病名だけをあげていく中で、精神的な病に目を向けた時、当事者ではない方は、なにそれ?とか、うわぁ鬱病ヤバイとか、距離おこう・関わらないでおこう・頭がおかしい人だとか、病気について色々と分からない人、偏見を持つ人がこれほどまでに沢山いるんだなって事をこの2年半感じてきました。
ただ怠けているだけと考える人もいますし、思い込みや受け取り方の問題だという人もいました。

これは血のつながった家族であれ、恋人であれ、友人であれ、誰であれです。

病院に行って、病名がついて、投薬治療やカウンセリングを受ける中で、通院している私ですら他の方の症状や見た目や態度も本当に皆千差万別だなぁと感じるし、目に見えて絶対に分かる病気!…ではない事を強く認識させられます。でも何とか家族には!と思って自分の症状や現状を説明しても、残念ですが理解されません。
詳細が載ってるサイトを送っても読んでもらえない。鬱病の家族がどう対応するのが良いか書いてあるサイトを見せても意味がない。
先生から言われたことを伝えても、誰からも、家族からも、思い込み、気のせい、捉え方の問題など、まるで責められてるような返答が返ってきました。

ここでまず知ったのが、自分がHSPであるという事でした。ハイリー・センシティブ・パーソンと言って、視覚や聴覚などの感覚が敏感で、刺激を受けやすいという特性を生まれつき持っている人のことらしく、繊細さんという本も出てますが、自分はそういう人間だったのかと自己理解の一歩の踏み出しと気付きはここからでした。

最初はもちろん家族や友人から言われた通り、受け取り方の問題、考え方の問題、図太くないと駄目だ、強くならないと駄目だ、気のせいだ、思い込みだと、色々言われて、正直自分を責めましたし、これほどまでに目に見えない病気というのは、理解されない、わかってもらえないこの病気の1番最初の難関の1つが理解されないこと気がします。

私自身も、どうして自分が働けなくなったのか?動けなくなったのか?本が読めない、声が出ない、生きることが嫌で嫌で辛くてたまらない。周りに迷惑ばかりかけてしまうし、こんなにも生産性のない、社会不適合者である自分が生きる意味なんてどこにあるの分からないし、どうすればいいのかもまったく分からない。ただ、とにかくもう早く楽になりたい!…と、常に思っていました。

家族や他者からの理解等については、主治医の先生からは『諦めた方がいい、そういう期待や希望は持たない方が良い、理解されないと割り切った方が良い、相手は理解できない、理解できないっていうそういう人達なんだよなんだよ』と再三言われています。でも悔しいかな…私は2年半経った今でも理解してほしいと望んでしまいます。

私の場合は、家族なら!恋人なら!友達なら!私の事を本当気にかけてくれるなら分かってくれると信じてました。

でも違いました。

2年半で、友達は0人になりました。
連絡がくることはありません。
最初は心配してくれました。
これまで通り接するよ!時々連絡するからね!と言われたりもしました。でも、連絡はなくなりました。
当時の自分は裏切られたような気持ちだったと思います。
今は連絡を取れる友達は1人もいませんし、取りたいと思う友達もいません。そもそも、ふと振り返れば、その程度の付き合いでしかなかったんだなと思います。

今は父が朝に『おはよう』と一言LINEをくれるのと、彼氏の2人の人間としか関わりがありません。それだけでも凄い奇跡だし、私にとっては本当に救いだと、今は心から感謝してます。

もちろん、理解してほしい気持ちはまだありますが…ふと時々思い出す事があって、昔、役者の勉強をしていたころ、他人や役の心が分かりたいのと、自分も打たれ弱い所があったのもあり、何かの役に立つかと思い、心理カウンセラーの勉強をしたことがあります。その時講師の方に言われたことで1番印象に残っている言葉は「絶対に人と人は分かり合う事は出来ない」という言葉でした。

人は共感する事はできる
事実として理解することはできる
表面的なら分かった気になれる

でも、人と人は完全に分かり合う事は絶対に出来ない。

当時の私は

なんだそれって思いました。
人は絶対分かり合えると思っていたからです。

だから、なんだそれ、それって絶望的じゃないか…そう思いました。

でもそのあと講師の方が言いました。
『だって育ってきた環境が一人一人違うから、分かり合うことなんて出来るわけがないんだよ。言われてきた言葉、趣味、日々見聞きするものや体験するもの、その人を取り巻く環境や家族の性格やその家々の決まり事、様々なものが違うのだから、たとえ同じ年代でも、学校が同じでも、同じ経験を1つ共有したとしても、まったく同じ体験をしてる人間なんてこの世にいない。だから分かり合うこと、理解し合うことは出来ない。考え方や感じ方が違うから。だけどね、唯一共感することはできる』

そう言われて、なるほどと納得しました。
そりゃそうだわと(苦笑)
でも、それが本当の意味で理解できたのは、病気になってからでした。

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