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こちらの記事は4月10日から27日までの個展の絵全体に通底する思考のご紹介です。展示情報も最下部に掲載あります。 絵の目的 静かで穏やか気持ち 生活の中に絵を掛けることで日々の暮らしがより良く豊かに 絵の構成要素に関して ■送粉者(ポリネーター) ハチやハエやチョウに代表される花から花へ移動し植物の受粉を手伝う動物のことを送粉者あるいはポリネーターと呼びます。花蜜や花粉を食べにやってくる虫などの体に雄しべの花粉が付着し、その後に別個体の花蜜を食べるために移動すること
願いの込められた小さな手を握りしめ佇む春 鮮やかに咲き誇る花びらは救いの手 楽園への扉が開かれる 春何気なく咲くチューリップ。どこにでも咲いているありふれた花。だからこそ気付かないこともある。小さな少女が隠れているかも知れない。魚が葉の間をぬって泳いでいるかも知れない。なんだって起こり得る。この幻想の世界が日常と同じなんてつまらない。だからといって大きな変化は怖くて不安で望みはしない。穏やかでちょっと微笑ましくなるような可愛らしい出来事を求めている。 ずっとチューリッ
樹を中心に様々な植物が集いひとつの通路が開かれる このシンボルを通して生命がこの世界へと流れ込む 生きたい生きたいとささやきながら新たな生命がここから始まる 以前の展示では生命の流れをテーマにして描きました。生命は繰り返します。例え死んでその生命体を形作っていた物質は残り続けます。死はこの世界から消えることではありません。それどころかその生命体を構成する物質は日々の代謝を通して更新されます。昨日私を形作っていた物質と今日私を形作っている物質は部分的には別のものです。食べた
祈りを捧げる対象 蒐集される対象 ”もの”に対する信奉と物を愛でる欲望 聖なるものと俗なるものの近さ 禁止は欲望を生み出し促す。欲求や要求が成立しない場所に迂回路として欲望が生成される。聖なるものは聖なるものである限りこの迂回路を人の心の中に生み出し続ける。この迂回路の先にこそ聖域がある。貴賤の区別も渾然一体となって幸福な環境が生み出されつづける。 道の辻に祀られる道祖神を参考にしてある種オブジェとしての少女像を描いてきました。信仰の対象であるということはその対象には
柔らかな日差しの中、今日も訪れる 静かで、穏やかで、幸福な朝が はるか太古から、そしてこれからも永遠につづく安寧 高山の森の中。まるで楽園のような穏やかな空気が流れています。この場所は楽園の一角です。少女は森の生命と調和し暮らしていて、柔らかな苔の布団に身をうずめ眠ります。そして朝の訪れとともに起きます。日差しと森の放つ水蒸気に包まれた穏やかな目覚めです。 地元の標高2000メートルに位置する苔生した森を舞台にした絵をよく描きます。この絵もそのひとつです。昔祖父に連れ
桜の花が咲いた。少女が咲いた。じっくり溜めた生命力を目一杯使って。見た目や香りだけではなく、その生命力が外の世界へと放たれる。冬の間の厳かな佇まいから一転して薄桃色に飾られた桜は瑞々しくまるで生命が再生したかのような様相を呈す。 そんな花の蜜を吸いにメジロが訪れ次の生命を繋ぐ手助けをする。ここにいる少女は花であり送粉者でもある。生命を繋ぐ大切な役割を背負った存在は穏やかで平和な世界を見つめて佇んでいる。 今回の展示に一貫している思いは”ここではない何処かの静かで穏やか
深い深い森の奥にある場所。動物も植物も少女も溶け合って個を失ったかのようにすべての種がひとつとなる場所。そこは個が侵されることがなく完全に調和している。木々のざわめきも動物の足音さえも含めすべての音が淀みなく重なり合い音のない音が流れている。悲しみや恐れもなく夢の中でまどろんでいるかのように幸福に包まれている。 例えば森に立つ一本の樹。彼は彼のみの力でそこにいるわけではない。とんでもなく低い確率で芽を出し育っていく。種子は適当な場所に落ちなければ発芽しない、発芽しても他
春の訪れです。桜の樹を仰ぎ見ると青空に映えてとても心地の良いコントラストを作ります。春風のように新しく穏やかな季節へ期待感を少女が運んできます。まわりにいるヒヨドリとハナアブなどの送粉者のようにあるものからあるものへと大切なものを運ぶのです。 今回の展示の時期に合わせた花をテーマにした絵が数点あります。この絵が展示される頃にはとっくに桜が散ってしまっているのだろうなと思っていました。しかし、現在(4/4)の時点でようやく桜の花々が咲き揃い始めており、今年の桜はお寝坊さん
長い年月をかけて大地の中で生成された宝石のように、この箱には一粒の奇跡が納められている。宝物を蒐集する。少女コレクション。宝石箱に宝石を大事にしまうように少女を大切に箱の中に入れておきましょう。永遠にこの姿を保存するため厳重に。誰にも盗られないようにこっそりと。 この箱に入れておけばすべてが永遠に姿を変えずに保存されます。一瞬で散ってしまう花々も、ある一瞬だけ輝く少女性も。絵そのものもそういった願望の現れのひとつの形でしょう。だからこそここに描く存在はなによりも素敵に仕
ミドリヒョウモンとヒメアシナガコガネの従者を引き連れて幸せを媒介する少女。送粉者が花粉を運ぶように少女は幸福をあちらこちらに運び広める。サンタさんのように、純粋贈与のごとく、つまり神がかったやり方でなんの見返りもなくやってくる。 ただより高いものはないというけれど、他者は見返りを求め救いの手を、偽りの優しさを差し出してくる偽善者です。決してそんな誘惑に乗ってはいけなません。手を借りたが最後それ以上の見返りが永遠に付きまといます。生きる枷となります。 しかし、ここにある
霧雨の中咲き誇る紫陽花。夢の中にいるようにモヤがかったこの世界は外界から隔てられた楽園です。 今回の展示のために描いた花の絵は少女よりは花が主役です。季節のお花を飾るように花の可憐な雰囲気を目指して描きました。展示は4月で、もうじき梅雨がやってきます。しとしとと雨が降り続く季節。なんて良い季節なのでしょう。雨で嫌なものがすべて洗い流されて、水蒸気で世界が悪いものから守られています。そんな素敵な世界を象徴するように咲く紫陽花。まったく悪意のない純粋に幸福な存在です。雨の日
少女は花。もうすぐ蕾が開きます。まだこの世に完全に生まれでていません。一方で生まれる前の世界に籠もっているのでもありません。ちょうどその中間の場所に少女は居るのです。生まれたい、でも生まれたくもない。こんなに心地の良い場所から出るなんて嫌だ。外の世界の危うさに怯えながらここに居続ける少女。ずっと夢の中。まどろんでいる。 少女は媒介者です。周りに舞う虫たちポリネーター(送粉者)と同じように夢と現実を結ぶもの。この狭間の地で巫女を司っています。虫たちが受粉を手助けするようにこ
目覚めてしまっていいの?現実に戻ってなにか良いことがあるの??例え目覚めて王子様と幸せな結婚してもその先には退屈な日常、いえ悲惨な日常しかないというのに。 まだ少女は夢の中にいます。それは救いです。望む世界は望む世界のままであることで望む世界たりうるのです。実現した時間を伴う現実の世界では夢見ることは許されません。 目覚めてはいけません。ずっとこの平和な幸せの世界に居続けましょう。 日々生きていると嫌なことは穏やかな顔をしてあたかも味方のようなふりをしてやってきます
ここは聖域。無限とも言える長い歳月を見守ってきた苔生した樹の生えている。この樹にしてみたら今この瞬間は時間は止まっているようなものだから、この場所も時が止まったかのように深い静寂に満ちている。 この樹に寄りかかり彼方を見つめ続ける少女。ああ、なんて穏やかな気持なのだろう。決して他者の攻撃性に晒されることのない安心できる場所。ゆっくり休んで次の世界へ行こう。さらなる安寧の地を求めて。 この絵をはじめ今回の個展の作品にはハエやアブが登場します。一見するとハチに見えるでしょ