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どうしても『日本の教育は...』という論調が好きになれない件

タイトルについて一気に語ります

自分自身が教育の畑出身だからでしょうか。贔屓目にみているという偏りがあるかもしれません。

私は、『日本の教育はだめだ』と画一的に語ってしまうことが、あまり好きになれません。楽しみにしていたセミナーで、「日本の教育がだめ」と話されると、一気に聞く気が失せてしまいます。

次のような視点から語られていたら、受け入れることができます。

「どこの部分を、どうやって、どの視点から、どれくらい評価するのか」

教育に取り組んでいるのも「人」です。機械のように丸ごと入れ替える、ことはできません。だから、今やっていることを、「どの程度変えなければいけないのか、どの部分は有用で残してもいいのか」を明らかにしていくことが、ボトムアップの教育改革だと考えています。

今一般的に批判されている「教育」の単位は、どの単位のことでしょうか?私は、「教育」とは、特にスプートニックショック以降の教育体制を示していると考えています。(いわゆる「詰め込み」と言われている以降)

そのような「教育」の中でも、「社会変革を狙った授業」を想像してきた教育実践家はたくさんいます。そういう方の活躍や積み重ねを知ると、画一的に「日本の教育はダメ」と言うことを憚りたくなります。

だからと言って、「日本の教育を批判するな」とは言いません。私は、「自分なりの実践をしようとすると、止められる」という職員室の同調的な雰囲気などから離れるために、教員という立場を離れました。

一方で、教員のリーダーシップによって、「高いクオリティで全校の授業が展開されている」という学校を見たこともあります。その時は大変驚きました。

このクオリティと言うのは、いわゆる「自分の身近な生活課題を解決する授業」で、生活科・総合的な学習の分野で取り組まれていました。

ここから、リーダー層のビジョンが大事だということも学びました。リーダー層といっても、トップではなく「ミディアム」のリーダーです。今でいうと、おそらく5年目以降くらいの先生になるんじゃないでしょうか。

そういった、経験をある程度積んで、自分なりのステップを歩もうとしている先生をたくさん知っています。そのような先生の活躍を広めていくことも、自分の仕事だと考えています。

(頑張っているからみんなすごい、とも言えませんが)そういった頑張っている先生たちを見ているからこそ、「日本の教育はダメだ」と画一的に語られる論調が好きになれません。

終わりに

人が少し腹を立ててしまうところって、その人の価値観を大きく表していると思い、言葉にしてみました。


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