パラレル教室運営日記8 -「なんでできないの?」は繰り返される
負の再生産「なんでできないの?」
「なんでできないの?」
大人はよく子どもに思うわけです。
「なんでできないの?」
上司も同僚に思います。
そう、「なんでできないの?」は、負の再生産として、どこかで誰かが発生させる限り起こるのです。
「なんでできないの?」が起こる理由
「なんでできないの?」が起こる理由をいろいろ考えてみたいと思います。
「なんでできないの?」と言う(思った)側のことを考えてみます
・言った側は、「できて当たり前」と思っている
・言った側は、「これだけ言ったのに」と自分の労力を見ている
・言った側は、「まだかよ」と焦っている
次に、「なんでできないの?」と言われた(思われた)側について考えてみます
・言われた側は、「言われた理由」に納得していない
・言われた側は、「指示されたことのよさ」を感じていない
・言われた側は、「やろうとしているけど体がついていかない」
・言われた側は、「そもそも言われたことをやりたいと思っていない」
・言われた側は、「どうやったらいいか分からない」
・言われた側は、「そんなこと言ったって、咄嗟の瞬間に自分第一声目が理想とは異なってしまう」
・言われた側は、「は?もうやってるし!」と思っている
言う側も言われる側も…
自分自身は、「言う側」にも「言われる側」にもなったことがあります。
言う側は辛いですよね、自分のかけた力が伝わってないと「思えてしまう」し。言われる側も辛いですよね、「自分に期待感がない」と思えてしまうし。
このようなときし「どうしたら相手にわかってもらえるか」と考えがちですが
そもそも「分からせよう」とか「できるようにさせよう」という意図性が強く働いているとき、なんらかの「策略」が見え隠れしています。こういう関係って、人と人とが繋がる場所においては、とてつもなく「気持ち悪い」と思うのです。
否定するわけではないのですが、教室の中で、「じっと座って我慢できたね」、自分の価値観とはとてつもなく相反することを「褒めて」「誘導しよう」とすることに、とてつもなく、嫌悪感を感じます。
1つ1つの事柄を、その人のスキルに終始させようとするからです。
しかし、目の前で起きている事柄、とくに子どもとの関係性に置いては、
・周囲の物的な環境
・周囲の大人との関係性
・自分の居場所感
・その時の自身の心の持ち方
などで、如何様にも変わってくるからです。つまりこれを子どもの様子に解釈すると、「子どものスキルが要因のものはほんのわずかだ」
と言うこと。子どものせいにしないでください、と言うのが、僕なりの「お願いに似た叫び」です。
このあたりで「じゃあどうすればイイの?」と怒りが聞こえそうだ
このあたりも十分受け止めています。いや、つもり、か。
自分自身もよく、「なんでできないの?」と思ってしまいますが、このセリフは、手をかえ品を変え、見方を変え時間をかけて初めて言えるセリフなんです。
だから、
「なんでできないの?」
は、正直な話をすれば死んだり重症じゃなかったり、心が深く傷付いたりしなければ
「なんでできないのか一緒に探していこうね」
にしてしまえばイイ。
相手の「できない」に入り込んでしまおう。
あとは、時間が作ってくれると思って、ひたすら時間をかけること。学びは、「結局自分で選び取ったものしか残らない」んです。
「あー今日は気分がのらないな」でもいい
え?そういう時、ありますよね。子どもも同じです。僕はよく子どもたちの前で「なんかさあ、今日は気分のらないね(笑)」とかって話をしたりします。
これは、これを言うのがいい、わけではなくて、
「私もあなたたちと同じ人間ですよ」
と言うメッセージなんです。
みんなにもそう言う時があっていいんだよ。って、なんとなく伝えてあげる。
ほんの少しですが、そのほうが、お互いにいきやすくありませんか?
・私こんなことで嬉しくなるんだ
・私こんなことはめっちゃ嫌やねん
・私こんなことですごいいらっとするよ
・私こんなことで超ハッピーになる
人間だから、こういうことはあると思います。起伏が大きいか小さいかなど、個人差はありますよ?
「指導しよう」「なんとかしよう」と思う以前に、人間としてぶつかっていく気概があるかどうかで
「なんでできないの?」の負の再生産
は減っていくのだと思います。
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