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生きる意味とかあってもなくても良い、たぶん

みんななんのために生きてるんだろうか?生きがいって呼べるものがしっかりあって、なにかに夢中になって生きてる人ってたしかに一定数いると思う。

私はバンドや音楽がわりと好きだけど、音楽家たちは曲を生み出すために生きている人が多いし、生き生きしている(様に見える。)

あと一般的に言われるような生きる意味はなんだろう。なにか大きな夢を叶えたい?家族を大切にすること?親に恩返しするため?友情?恋人や結婚相手と幸せに暮らすこと?子どもができたら子どものため?仕事で成功したい?お金持ちになって社会的地位がほしい?趣味を思う存分楽しみたい?

そんなデカデカとした目標があるのはとっても素晴らしいし、そういう人を見てるのは気持ちが良いので好きだ。けどさ、もっと身近でちっぽけなことのために生きるのだって別にいいんじゃないのかね。例えば…次の休みに好きなケーキ屋さんに行こうとか。次は近所の温泉に行こうとか。2連休があるから少し足を伸ばして海を見に行こうとか、ちっぽけなことでよくないか?壮大な夢や目標や胸を張れることを掲げなくても生きてていいって最近は思ってきた。

だって、極論を言えば人は生まれたらいつか死ぬ、90年くらいで死ぬ。しかも人間はちっぽけな存在であることを忘れたらだめだ。自分がいなくなったとて社会はガンガンまわるのだ。どれだけ大企業のお偉い方が突然病死してしまったとしても、何日間かはバタつくかもしれないが代役が建てられ一件落着。私なんてまだ21歳のハナタレ小僧であってどこもバタつきすらしない。社会は回るしそんなに誰も困らない。だから死ぬまで人生は暇つぶし、好きなように生きたらいいのだ。楽しいと思えるようなことがあればラッキー、そんなに特別な才能とか個性とかなくても、生きてていいし、アイスうめ〜って思ってていい。それでいい。どんなに上手く行かなくても、最後は田舎に帰って農家になる手がある。あんまり思い詰めるなよわし。

生きてる実感って人の役に立つ時にかんじると思うんだ、まあ仕事でそれ見つけられたらいいけども、出来るだけ自分が辛くなくて人の役に立てるなにか見つけられたらいいね。人生長いし、最初から見つかるとは限らないし焦らなくていい。身近な人にありがとうとか伝えたらいい。それだけで人の役にも立っていると思う。

踏んだり蹴ったりで泣いてるかもしれないけど、もう少し頑張ってみてそれでもどうしても出来なかったなら、それは向いてないってことだからそれはそれでいい。頑張ってチャレンジして足掻いて偉かったねって思おう。だからそれまでは自分が壊れない程度にやってみようか。もう壊れかけてるかもしれないけど笑 年末まではとりあえずがんばろうか。お正月実家で存分ダラダラすること目標にしよう!

本当は、のびのび笑顔で、わたしは色んなこと楽しめる人なの自分で知ってるもん、ライブ行ったり、音楽家の内面に感動したり、音楽や映画のことたくさん知ったり歴史学んだり本を読んだり、自然浴びたり、料理したり。服選んだり。

こんな所で、社会に勝手に潰されてたまるか!おかえり、闘争心!また絶対怒られるけど、怒り方下手な先輩だなぁって思いながら、吸収成長、教師にしながら反面教師にもしつつ、だよ。やってみよ〜。慣れれば出来るようになる事も多いはず。キノコですら最初の頃ミスして少しつらかったもんね。大丈夫慣れれば少しずつ出来るようになるんだからわたしは。



またちょっと違う話

人間関係に恵まれることが人にとっていちばん贅沢だと思う。いちばん心が満たされるのはこれだって知ってる。だから相手にとっていい友人に出来るだけなりたい、けとどこれって難しい。難しいけど、時間や人間関係をつくる労力もかかるけど、出来そうな人にはやっていきたい。大事だもん。。好きな人には尽くそうやっぱり。困った時はお互い様。人に頼られるような人になりたい!そのために余裕必要だし、自分が困った時思い切って頼る勇気や図々しさも少しは必要。頼られるって嬉しいもの。むずかしいけどねえ

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