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開高健「生物としての静物」再会





ゴールデンウィーク、京都出町柳商店街にある古本屋で小一時間、開高健の「生物としての静物」が目に留まる。昔好きだった作者だから、多分読んだことあるかなぁと思いつつ、もしかしたら文庫本だったかな、単行本のベージュの少しくすんだ表紙が気になって買ってしまう。シックな表紙に、「生物としての静物」なんて、広告コピーのような、呪文のような、タイトルがはまっている。
(因みに、この京都、出町柳商店街(桝形商店街)自体が昭和で時間が止まったしまったような場所、この本に出逢うにはふさわしい。)
この本が書かれたのは1984年。僕が広告代理店に入って2年目の春の頃。一昔、40年前の話。今の20代・30代の人は、開高健なんて知らないだろうし、写真だけだと、単にデブのおっさんに見えるかもしれない。でもその当時、時代のカリスマ・ボスともいえる人だった(個人的感想)。芥川賞作家、サントリーのコピーライター、ベトナム戦記で有名なルポライター、釣り師、美食家、89年に58歳で亡くなったのだから、この本は彼が往年を振り返って書いたのだろうか、躁鬱的で激しい人生。丁度今茅ケ崎の開高記念館で、「開高健の三つの顔」が開催されている。



1984年、あの頃の自分や世相を想い出しながら読むのが楽しい、もう正確には覚えてなくても。当時はそういう言葉は使ってなかったが、”バブル”だった。この本にも、その懐かしい匂いはかすかにする。この本は、戦後の混乱期・高度成長期・ベトナム反戦運動・バブル期の中を、突っ走った男の周りにあった、大事にしてきた”小物”の話である。タバコ・ライター・パイプ・ジーンズ・ベルト・万年筆・懐中時計・辞書・防虫剤・帽子・お守り(タリスマン)・ビーフジャーキー・正露丸・麻薬・バッグ、そして勿論釣り具。それらの挿画がまた渋く、愛情を感じさせる。こんなもの使ってました、という軽薄な自己表現ではなく、その”小物”の歴史や生い立ちを知り、旅や戦場でそれらを使いこなし、相棒みたいになじんでいった話。物への愛情の根本は、人間の身体同様、機能美だと言う。
文筆家なんて虚業と作者は自らを突き放す。そうそう、広告代理店という虚業に入った自分も、そして周りの同僚達もおそらく、彼のお伽話に引き込まれていったのかな。彼の言う「文房清玩」(中国の古人が毛筆や紙の選別につぎこむ愉しみ)に感心し、万年筆に凝ってみたり、タバコも吸わないのに、ジッポーのライターを買ってみたり・・・笑える。
景気は良かったが、軽薄で浅薄な時代、楽しかったが、こんなのいつまで続くんだろうと皆どこかでは思っていたはず。そんな不安を感じる中で、時代なんて関係ない、逞しく(男らしく)人生を楽しめという啓示みたいなところが開高健にはあった。そして、当時は今覚えばありがたいほど単純な世の中だった。メディアがシンプルで、ファストメディアやコンテンツに追いまわされず、まだ物が強かった時代。生き方や美学を、恥ずかし気もなく語れていた時代。そう、物・金・力・欲望が明るく絡みあってた時代。
読み終わって、改めて開高健の人生を少し味わって、「生物としての静物」というタイトルをまた眺めてみると、自分の相棒の小物たちにも少し目が行く。

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