或るウクライナ在住ロシア人の思い出
わが記憶のいたらざるを
わが洞察のいたらざるを
赦されんことを
人間の生き方には、2種類ある。
歴史の中で生きる生き方と、歴史の外で生きる生き方だ。
人間社会の中で、仕事を通してなにかしら社会貢献をして生きがいを感じる。歯車であれ、現代社会の一端を担って、そこに責任や楽しみを見出して生きていく。「現在」を生きることで、歴史の一部となる。
それが歴史の中で生きる生き方だ。社会的人生、といってもいい。
そこで何ができるかは、現代社会がどのようなものであるかに依存する。
一方、歴史の外で生きる生き方とは、社会から離れて生きていこうとする生き方だ。
家でお茶を飲み、本を読むこと。
散歩して、日光を浴びること。目を閉じて瞑想すること。家族や友達とおしゃべりすること。
そんな個人の日常は、何百年、あるいは何千年も前から、大きく変わることがない。
外部の人間社会が21世紀だろうと何世紀だろうと関係がない。
それが歴史の外で生きる生き方だ。個人的人生、といってもいい。
20年ほど前のことだ。
コンピュータ業界に入ったばかりの私は、ヘルプデスクという仕事をしていた。
その頃のWindowsやExcelは、よく故障した。誰かのパソコンでトラブルが起こると、電話で呼ばれた。
トラブルが起きてくれないと、仕事がなかった。
1日で、トラブルシューティングにかかる時間は、1〜2時間だった。残りの時間は、することがなかった。
「すみません、暇なんですけど」と、チームリーダーに申し出た。
「僕も、暇だけど」と、チームリーダーが答えた。
歴史の中で生きようとする人にとっては、社会のために個人が存在している。
仕事が暇だということ、それは社会が自分を必要としていないということだ。
そんなところに身を置くのは、自分という資源の無駄遣いだ。
早く転職してスキルを磨いたほうがいい。社会に貢献できる。
しかし私は、そんなことにあまり関心がない。
歴史の外で生きる人にとっては、個人のために社会が存在している。
仕事が暇だということは、望ましいことだ。無責任に、自由に行動していてよいのだ。
無駄遣いなどと、気にする必要はない。どうせ、生まれた時から無駄な存在だった。
暇なので、ネットを見て過ごした。
当時、日本の文化に興味がある外国人と、日本人をつなぐ、ペンパル紹介サイトがあって、何人か英語でメールのやりとりをした。(貴重なサイトだったが、SNS普及に伴い、閉鎖された)
ベトナムの男性医師は、英語で俳句を書いていて、感想を聞きたがった。
アイドル歌手が好きなマレーシアの女性医師とは、クアラルンプールに旅行に行ったときに会って食事した。
ペンパルの一人に、ウクライナ在住の人がいた。Aといった。
Aは、ロシアのリャザンで生まれ、ウクライナのセバストポリ大学で電気工学の単位をとった後、ずっとセバストポリに住んでいた。
電光掲示板を作る仕事をしていたが、目が悪くなり、早期退職をしていた。
国の発展に自分の人生を重ね合わせて、国の歴史の中で社会的人生を送ってきた人にとって、退職は危機的な状況だ。
退職をすると、会社が自分を必要としなくなる。個人的な人生への、価値観の転換が必要となる。
歴史の中で生きる人は、歴史に興味を持つ。過去、何があったのか。現在、どのような状態なのか。そんな歴史を理解することで、次に何をすべきなのかが見えてくる。
歴史の外で生きる人は、歴史への興味を失いやすい。社会が今どうであろうと、自分にはあまり関係がない。歴史を超えたものに、関心を持つ。すべきことより、したいことが重要となる。
さらにAは、天涯孤独だった。
引退後、離婚して、障害のある父親の介護をし、看取った。
子供はいなかった。両親とも亡くなっていて、兄弟もいなかった。
「親戚も、いないんですか」
と、私は聞いてみた。
「第二次世界大戦、飢饉、病気ですよ!」
とAに叱られた。そんなこともわからないのか、という口調だった。
ペンパル紹介サイトに登録してみたが、ろくでもないメールばかり来た、と言っていた。
唯一、興味を惹かれたのが、私の返信だったらしい。
まだ51歳だったが、既に孤独な老後に入っていて、顔も見たことのない極東の私だけが、楽しみなコミュニケーション相手なのだった。
Aは、家にパソコンを持っていなかった。スマホが出るよりずっと前の時代だ。ウクライナの年金生活者にとっては、パソコンは高価だったろう。
図書館のパソコンで、目が悪いので文字を拡大するアプリケーションを使いながら、メールを読み書きしていた。
セバストポリは、クリミア半島の先端部にある。軍港でもある。
「セバスト」は「栄光」、「ポリ」は「街」の意味だ、と説明してくれた。
木と花、海と山、美術館や劇場がある。
リャザンに帰っても、誰もいない。住み慣れたセバストポリで一生を終えたい、と言った。
ロシアがクリミアを併合したのは、2014年のことだ。2003年当時はまだ、平和なウクライナ領だった。
チェチェン紛争のほうが、差し迫った関心事だった。
私は、メールでそんなことを聞いてみた。私の方は、ロシア人がどのようにロシア現代史について考えているのか、関心があった。
ロシアでは、選挙のたびに圧倒的にプーチンが勝っていた。
でも、日本で自民党が圧勝しているからといって、みなが自民党の政策にすべて賛成しているわけではない。
賛成する部分もあれば、反対する部分もあり、仕方ないと諦めている部分もある。
私はそんな、市井の人の見方が知りたかった。
Aは、チェチェン紛争に関して、プーチン支持ではなかった。
「ソルジェニーツィンは、チェチェンがロシア《から》独立すべきだと考えています」とAは書いた。
「ソルジェニーツィンは、プーチン支持ではありません。プーチンは、チェチェンがロシア《の中で》独立すべきだと考えています。ですが、プーチンがロシアの権力をすべて掌握しているわけでもないだろうと思っています」
ソルジェニーツィンと聞いても、いまの人は名前すら知らないかもしれない。
「ノーベル文学賞の人でしたっけ」というくらいかもしれない。
100年前のロシアでは、トルストイが圧倒的な信頼を得ていた。トルストイはロシア人の心を代表していた。どこへ行っても、信者が群れをなした。
50年前のロシアで、トルストイ以来と言われるほどの国民の精神的支柱となったのが、ソルジェニーツィンだ。
「ソルジェニーツィンの著作では、『煉獄にて』と『収容所群島』が、最高傑作だと思います」とAが言っていた。
『収容所群島』は、1917年の革命後、第二次大戦後に至るまで、ソビエト連邦がどのように国民を逮捕し、シベリアの監獄に送っていたか、そこで本当は何があったのか、証言を集めたものだ。
『収容所群島』は、そんな献辞から始まる。
「ぜひ、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を、読んでほしい。ロシアのことがわかります」とAが言った。
とはいえ、Aがしたい話、興味がある話は、政治や歴史ではないように見えた。私が質問したから答えてくれただけだったろう。
Aは、歴史の外で生きていた。プーチンがどうであろうと、Aの個人的人生にはあまり関係がなかった。
ジャン=ジャック・ルソーは
「人は事物から遠ざかり、自分自身に近づくにしたがって、はじめて地上で幸福になりうる」
と書いた。
「こうして僕は自分自身の経験で悟ったのである。真の幸福の泉はわれわれのなかにあるということを」
Aは、家族だけでなく、友人もほぼいないようだった。
けれども、Aは自分の思い出のなかで家族に会い、友人に会っていた。記憶が、Aの愛情を満たしていた。
人が幸福になるためには、愛情が必要だ。
しかし愛情を感じるためには、社会的には孤独でなければならないのかもしれない。
愛は、個人的人生のなかにしか存在しない。
愛とは、「したい」ことであり、「すべき」ことではない。
愛するためには、自由でなければならない。
愛するためには、心を満たし続けなければならない。
愛するためには、余裕がなければならない。
社会的人生のなかで、「すべき」ことに追われていると、そんな自由と余裕を失ってしまう。
Aが、子供の頃の思い出を、メールに書いてくれた。
そして、その祖母からもらった手紙の内容を、紹介してくれた。
そんな風に、「人と仕事を大切にしなさい」と祖母に教えられて育ったAは、しかし人も仕事も失った。
「孤独は、抑うつと、絶望をもたらします」... Aは、どんな心境だったのだろう。
せめて幸せな子供時代の追憶のなかで、Aの心が幸福に満たされていたことを祈る。
「セバストポリに、遊びに来てほしい」とAが言っていた。
私も、クリミア半島を訪ねてみたかった。
そのあとで紛争地帯になるとは思いもよらなかった。
会社で、大きなプロジェクトを任されるようになり、急に忙しくなった。
メールの頻度が減った。Aがさびしがった。
「The voice of a true friend sounds sweeter and sweeter...」(うまく翻訳できない)
そんなメールを受け取った。心苦しかった。
そのうちAに全くメールを送ることができなくなった。
ペンパルは自然消滅した。
20年前の当時、日本人男性の平均寿命は78歳だった。
ロシア人男性は59歳、ウクライナ人男性は62歳だった。
Aは51歳、平均寿命から計算すれば、余命10年ということになる。
15年経ったとき、ふと思い出して、メールを送ってみた。返事はなかった。
Aが、まだ生きているのかどうか、わからない。
人は、子供時代に個人的人生を生きてから、現代という歴史に翻弄されながら社会的人生を生き抜き、退職して歴史を離れたのちに再び個人的人生に戻る。
そしていつか、完全に歴史の外に立てるようになる。それは死と呼ぶより、魂そのものになった状態、といったほうがふさわしい。
Aには会えずじまいだった。でも、いつか、セバストポリに遊びに行ってみたい。
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