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過程の価値

最近、大変だなぁと思うことが結構多い。
ちょっと前まではいい感じ!とルンルン気分で歩き始めたが、いざ歩いてみると結構大変だ。

生きていくのは一筋縄ではいかないのだなぁとしみじみとしているところだ。

一方最近絵を描く練習を最近始めて、長編小説も書き始めているのだが、これがまた楽しい。
特に絵を描くのは下手なのだが、それでも描いているのはすごく楽しいのだ。
まぁ小説を書くのもたいしてうまくもないのだがそれは一旦置いておこう…。

下手なので描くときなどはあぁでもないこうでもないとウンウン唸りながら描いている。
大変と言えば大変なのだが、ついつい熱中してしまう。
描き終わった後はあぁ楽しかった、と充実した気持ちになれる。

私は絵を描くのも下手だが、生きていくのも下手らしい。しかしかたや楽しく、かたや辛い。

下手なことをしているのは同じなのに、何故こうも違うのだろうか。
そんなことをふと考える。

絵を描くのと生きていくのとで違うところはどーこだ。
同じく目指すところがあるのにその違いはどこから出てくるのだろうかと、不思議に思っている。

今、一つ思い当たるのはその過程が楽しめるかどうかなのではないか、ということだ。

絵を描く時は時間を忘れてしまうぐらい熱中しているが、生きていく為の行動、つまり仕事とかをしている時は、早くおわんないかなとか考えているのだ。

絵を描く時はその過程すら楽しめているのに、生きていくことはその過程をすっ飛ばして結果のみを求めているのかもしれない。

過程も目標を達成する為の一つの要素だ。
過程も目標の中に含まれていると言っていい、と私は思う。

あるいはその違いが絵を描くことと生きていくことの違いなのかもしれない。

あまり知らないのに言うのもなんだが、登山が頂上に立つことだけでなくそれまでの登るという行為自体にも魅力があるように、生きていくその行動自体にも価値が置けるものなのかもしれない。

もしそれができたら、下手でも楽しく生きていけるかもしれないなぁと、そう思うのである。

まぁ取り敢えずはその精神で生きていくことにしよう。

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