本当に、本当の
本当にやりたいこととか本当の自分とかたまに目にしたり聞いたりした記憶がある。
あなたの本当にやりたいことはなんなの?
とか
本当の自分を探しに行く
とか
それが何かの道標のように使われている。
私も一時期そう言うものに取り憑かれたりもした。
しかし最近の私の感覚だとそれらは無い…とは言わないがある種幻想に近いものなような気がしている。
寧ろ「本当に」なんて言葉をつけるから話が逆にややこしくなってしまうことすらあるんじゃないかと。
自分はありとあらゆる場面の自分全てを引っくるめて自分だし、やりたいことはその時やりたいことがやりたいことだ、という風に今は考えている。
そこでこれは本当の自分じゃないとか、これは本当にやりたいことじゃないとか言ってほっぽり出すほうが勿体無いし、迷走することにも繋がる気がする。
全ての場面の自分を自分として受け入れる。
やりたいと思ったらやってみる。
そうしたら自分のことがよりわかるようにもなるし、やってみたら案外ハマって楽しいかもしれない。
「本当の」とかいう理由をつけて、自分を見失ったり、やりたいことがわからなくなったりするのはそれこそ勿体なくないか。
本当の自分やら本当にやりたいことがもしあったとして、それらを得るのは一発で最短ルートで見つかるものではなくて、山あり谷ありでもっと多様でごっちゃごちゃのものを経て見つかるものだと思う。
そのごちゃごちゃのものを俯瞰して見ることができた時に「こんな感じかな?」といってぼんやり見え始めるのではないかな。
しかもそれらは歳を重ねていくことによって変化していくことすらあるのでまた話がややこしくなる。
「本当の」という言葉に惑わされているのであれば、もっとありのままに、もっとシンプルに見てみたら何か得られるものがあるかもしれない。
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