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狂気

私は気が狂っていた。

幼少の頃から私の中にある欲望や気性は、社会には合わないのだと薄々理解していた。

私の中のこの狂気を思うがままに振るえば、身を滅ぼすのだと感じていた。

だから私はやり方を学ぶことにした。

いかにこの狂気を包み隠すか、いかにこの狂気を人に悟らせず満たすのか、いかにこの狂気と共に生きていくのか。

その学びは自分の狂気の本質を理解していけば、苦労はしなかった。

自分が他人と比べてどこが違っているかを理解すれば、ベールで包むのは容易かったのだ。

そうして私は社会でもそれなりの地位を得て、比較的裕福な生活を送ることが出来た。

そのやり方さえわかってしまえばどうということはなかった。


だからこそ私からすれば理解に苦しむ者たちも居た。

私と似たような狂気を孕み、それを見境なしに振るって身を滅ぼしていく者。

狂気を全く孕んでいない善性の塊のような人間が道を踏み外し、転落していくのも見た。


愚かなことだ。

やり方さえわかってしまえば、こんなにも簡単なことなのに。

それを理解しようともせず、ただ愚直に生きていくことのなんと愚かなことか。

そうした者たちを横目に、私は充実した人生を送っている。


ふと時たま考えることがある。

私は狂気を孕んでいる。

だが私はその狂気と共にこの社会に適応し、人生を謳歌している。

片や全くの善人がおり、人格的にも申し分ない人間たちがいる。

その善人達の中にはその善性に関わらず、社会に適応出来ずに落ちていく者もいる。

狂気を孕んだ私が生き残り、善人達が落ちていく。

果たして狂っているのは、私か社会か、どちらなのか、と。

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