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吊り橋

「俺は絶対落ちぶれたりはしないからな!」
「わかったって。お前少し飲み過ぎじゃないか?」
ここは駅前のバー。バーと言ってもカウンター席だけではなくて、テーブル席もあり、落ち着いた雰囲気を漂わせつつも程よく賑わいのあるバーだ。
この二人の片方修人は、明日が休日だからなのか少し飲み過ぎているようで、もう片方の男にくだを巻いているようだ。
片やもう片方の明は修人に少し辟易した様子だが、そのままその席を抜けることもしないようだった。
「俺は嫌なんだよ!落ちぶれて路上で生活するなんてのはまっぴらごめんだ!親父みたいに蒸発するなんざもってのほかだ!」
「はいはい、その話ももう今日で何度目だよ。」
「なんだ!お前はどうしてそんな余裕でいられるんだ!お前はいつもいつも平気そうな顔しやがる!」
「はいはい、平気な顔で悪うござんしたね。ほれ、もう出るぞ。」
明は修人に肩を貸し、二人は店を出た。
幾ら賑わうバーと言ってもあくまで程よくだ。そのバーの客たちは泥酔した修人を少し煙たそうに見ていて、明はそれを感じ取ったようだった。
修人は少し抵抗を示したようだが、結局ぶつくさ言いながらもおとなしく出ることとしたようだった。

二人は店を出て道端にあるベンチに腰を下ろした。
「とりあえずコレ飲め。」
明はポイっと修人にベンチの隣にある自販機で売っていたペットボトルの水を渡した。
ムスっとした表情で修人はペットボトルの水を飲み始めた。
「…さっきは悪かった。」
「別にいいよ。お前も今日忙しかったし、それもあるんだろ。」
少し居心地が悪そうに修人はぐいっと水を一口飲んだ。
「俺ずっと不思議だったんだ。」
「何が?」
「お前は出会った頃から仕事で何かあってもずっと平気な顔してて、立ち止まったりしないですいすい前に進んじまう。」
「それは買いかぶり過ぎだよ。俺だって焦ることくらいあるさ。」
「それにしてもだ。俺は態度はデカいけどおっかなびっくりしながら仕事してるのにさ。」
「確かに態度はデカいな。」
少し明が笑う。うるせーと修人は明を小突いた。
「俺は落ちていくのが怖いんだ。お前もわかるだろ?落ちていった奴なんてそこら中にごまんといる。俺もちょっとでも道を踏み外せばそこに落ちていっちまう。」
「ちょっと極端な気もするが、わからなくもないな。」
「それなのに、何でお前はそうどんどん前に進めるんだ…怖くないのか…。」
明は右手の人差し指を口元に当てた。明は考える時いつもこの仕草をするようだった。
「そうだなぁ…。吊り橋と一緒じゃないか?」
「吊り橋?」
修人は明の方を見た。
「吊り橋ってさ。下を見ながらだと怖いだろ?だけど前を見て歩いていけば案外怖くない。」
「でも高いところを渡ってるって考えたら怖いじゃねぇか。」
「俺もそれは考えないわけじゃない。だが考えても仕方ないだろ。結局前に進まないとわたり切れないしな。」
修人は少し黙りこくった。理屈はわかるが、それでも怖いものは怖いのだ。
「もし前だけ見てて転んだらどうするんだ。転んだ瞬間下に落ちちまったら。」
「だから言ったろ。俺も焦る時はあるって。そういう時はしっかり手すりに捕まって落ちないように慌ててるよ。」
明は修人の方を見て笑って見せた。その表情は何かを思い出すように、少し困ったように見えるようでもあった。
「別に俺の意見が正しいってわけじゃないさ。石橋を叩いて渡るのも悪いことばかりじゃないしな。それにお前のそういうところでうまくいくこともあっただろ?」
「そりゃそうだけど…。」
「大丈夫だって。それに吊り橋は落ちても最低限死なないように網がかかってることもある。」
「けっ、そんなんあてにならねぇっての!」
もう一軒行くぞ!といって修人は立ち上がった。まだ飲むのかよ、と言って明はその後ろをついていく。そうして二人の金曜の夜は更けていった。

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