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コワーキング商店街【小説】

漂う金木犀の香り。風に揺れて枝葉が擦れる音。ガラスの天蓋を見上げるとひつじ雲がゆっくりと流れていた。雲間から漏れる日差しがオフィスワークで疲れた肩をやさしく温める。

ガラスの天蓋

愛知県にある某商店街。店に挟まれた歩行者天国には緑が生い茂り、まるで植物園かのようである。その植物の間を縫うようにして、かたちの変わったストリートファニチャーが程よい距離を保ちながら並んでいる。

ガラスの塊でできたソファの上ではOLがお弁当箱を広げ、スマホを片手にもくもくとランチしている。
7メートルほどの高さだろうか。天蓋に届いてしまいそうなけやきは大きく枝葉を広げ、涼しげな木陰をつくりだしていた。その木陰に隠れるように配された大机では、パソコンや資料を広げた大人達が忙しそうに手を動かしている。
俺は周囲の草木を避けながら伸びる有機的な形状のソファに跨り、それらをぼうっと眺めていた。

ストリートファニチャー

ポケットの振動。ロック画面を確認する。吉尾部長からの電話だ。誰に見られるわけでもないのに、起立し、背筋を正してから電話にでる。ソファの座面は低反発の柔らかい素材だったので、先程まで座っていた俺の尻の形が刻み込まれていた。

「お疲れ様です。エクスペリエンスデザイン部末富グループの竹中です。」
「どうもー。吉尾ですが。竹中くん、13時から空いてる?」
嫌な予感がする。
「本日の午後はグループ長に頼まれていた資料作成を行う予定でした。打合せ等は特に入っておりません。いかが致しましたか?」
「クライアントの山代さんが、別件でコワーキング商店街にいらっしゃるみたいだから、この後ランチも兼ねて、LP(ランディングページ)のデザインイメージ固めてきてよ。いま商店街の支社でリモートしてるでしょ?」

ここは通称「コワーキング商店街」。様々な企業の支社や、コワーキングスペース、カフェが軒を連ねている。古くなった商店街を業務用施設群(オフィス)にコンバージョン(既存の建物に全面改装を施し、用途変更をして再利用すること)し、道路の舗装を剥がして植物を植えたらしい。天蓋下の半屋外においても空調は整えられており、汗をかいたり寒気を感じることもない。昨今の働き方の多様化を受けてつくられた施設で、旧商店街×オフィス×植物園は日本初の試みだそうだ。それだけ掛け合わせたら他に類を見ないのは当たり前だろう。日本初ということは世界だと既に類似例があるのか?

名古屋駅からも近く、打合せで利用するビジネスパーソンも多い。商店街の入口にはセキュリティがあり会員制であること、アプリを通して混雑状況がわかり人で溢れ返らないこと、半屋外空間のため外部と空気がひとつながりであることなど、某ウイルスへの対策にも余念がない。集中して仕事ができる最高の環境、というコンセプト。

噴水広場を中心に十字に広がるコワーキング商店街。広場前の好立地に門を構える我が支社においては、内外装に現れた「集中して仕事ができる最高の環境」という主張が押し売りに近い。たとえば、減築してスケルトン(建物の骨格、柱や梁)があらわになった2階からはバルコニーと軒が張り出しており、つる性植物がつくり出す緑のスクリーンによって採光とプライバシーを確保している。

ただ、俺にとってはあまりにも快適すぎて、集中力が持続しない最低の職場環境である。

太陽光がほとんど差し込まず、タスクアンビエント照明頼みの薄ぼんやりとした本社の方が、きりきり仕事するにはいい。差し迫る締切のプレッシャーか、それとも高めに設定された室内空調のせいか、社員の額には常に汗が滲み、心なしか目も血走っている。

きりきり働くことができる本社

また、本社で行われる打合せは驚くほどスピーディーだ。古めかしい薄ぼんやりの社屋に似合わず、来客用の会議室だけは最新鋭の設備が整っているため、クライアント側に来社して頂くことが多い。ガラス張りの会議室は、どんな打合せでもだいたい45分以内に終わらせる。社内の緊張感を遮断しない薄いガラスにより、居心地は最悪なので、クライアントは早く帰りたい一心から質の高い打合せを実現するのだ。

ではなぜ俺が支社でリモートを行なっているかというと、それは仕事をさぼるために他ならない。週4日本社できりきり働き、水曜日は支社(というより、近くのカフェや共用図書館、ベンチ)でぼうっと過ごすのがルーティンになっている。1週間で1日8時間×4日=32時間働いて、基本給32万を頂いている。時給換算で約2500円だ、すごいだろう。

そんな俺の定休日に打合せなんて馬鹿を言うんじゃない、とは言えず、
「承知致しました。LPのデザイン、フィックスしてきます。終わりましたら、議事録共有致しますので、ご確認の程よろしくお願い致します。」
「はい、よろしくー。山代さんとは個別に連絡とってね。」
俺は観念してクライアントに連絡をとり、13時からハンバーガーが名物のコワーキングカフェで待ち合わせることになった。

店の前で待っていると、大男が近づいてきた。
「お疲れっすう。」
のびのびとした挨拶。お疲れ様ですと会釈をして店に入り、それぞれハンバーガーセットを注文した。

コワーキングカフェは広々としており、食事と一緒にパソコンや資料を広げられるよう大机が並べてあった。山代さんは窓際の席に座り、俺に隣の席へくるよう促した。横並びでハンバーガーを食べ、彼のゴルフ自慢を聞いた。

「さて。」
あらかた食べ終わったところで山代さんがリュックからパソコンを引っ張り出したので、俺も慌てて資料の準備に取り掛かる。

商品のコンセプトやLPに必要な機能を改めてヒアリング。それを受けて、事前に用意してあったLPの方向性についてパターン出しした資料を説明した。いつもであればすんなり合意が取れるのだが、今日は違った。

彼はパターンを見比べて、概ねB案でいいんじゃないかと述べた後、うーん、と唸り沈黙。外を眺めながら、でもなあ、などと独り言を呟いていた。少し強めの風が吹いて、窓がカタカタ揺れた。急かすわけにもいかないので、補足を挟みながら納得のいかない部分を引き出していくことにする。本社で打合せの際は、さっさと方向性を決めて、さっさと帰る人なのだが、「集中して仕事ができる最高の環境」が彼の判断力を鈍らせているようだ。スロウでゆとりがあり過ぎる環境は、緊張感に欠け、集中力を奪うこともある。特に、昼食を摂ったばかりなら尚更だ。

細かいようでいてどうでも良いような指摘に対して丁寧に回答する。合間にドリンクをお代わりしたり、トイレ休憩を挟んだりしていたら、いつの間にか夕飯時になっていた。

既に6時間に及ぶ打合せ。
「環境が良いからかな。今日はほんとに細かいことに気がつくよ。しかも全然疲れない。」
山代さんは調子よさそうに追加注文したポテトを頬張る。俺はへとへとなのだが。

結局それから更に1時間かけて、B案に落ち着いた。山代さんは会心の打合せに満足しているようだ。俺にとってみれば中高生がサイゼリアでする取り止めもない長話より無駄な時間であった。

支社で終わらせなければならない仕事が残っているからと、店の前で山代さんを見送る。あたりを見回すと、まだ仕事をしている人がちらほら見えた。彼の姿が見えなくなってから近くの芝生に腰を下ろす。空を見上げると、ライトアップされた天蓋のトラスが夜の闇によって美しく浮かび上がっていた。

働き方が多様化し、せまいオフィスに閉じ込められて仕事をしていた俺達の環境はがらりと変わった。「集中して仕事ができる最高の環境」ってなんだろう。疲れた頭に答えは浮かばなかった。

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