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なくすことで別のものが増えたり豊かになったりもする


あ、うちも一緒だ。
noteでそんな投稿を読むと嬉しくなる。
遭遇すると、だから何やねんという話ではあるのだが、ついつい「私もです!」とコメントをしたくなってしまう。

"誰かとお揃い"や"みんなと一緒"がそんなに好きではないはずの私。
そのくせ偶然同じものを使っていたり、近い価値観や生活習慣を持っている人に遭遇するとついつい声をあげてしまいたくなってしまうのが人間の面白いところだなぁなんて思う。


先日こちらの投稿を読んだ時も「私もです!」を発見した。
ふーふーちゃんねる。というYouTubeを配信されているご夫婦のお嫁さんのnote。
ほっこりする投稿をいつも楽しく読ませていただいているのだが、そんなふー嫁さん(勝手に略してすいません)のある日の投稿に「やめたもの」が綴られていた。
それは、ティッシュペーパーとバスタオルである。


ティッシュをやめられるのはなかなかすごいと思う。
私は家で結構ホイホイとティッシュを使ってしまいがちだ。
でも確かに、こんな感じで違和感なく設置できるようなものがあれば、ティッシュの代わりにトイレットペーパーがリビングに置いてあってもいいのかも。トイレで使うものをテーブルの上に...?なんてついつい考えてしまいがちだが、それは固定概念でありトイレットペーパー自体は汚らしいものでもないし何の罪もない。

ロールを切るのが大変なのでは...?なんて思ったりもするが、結構人って順応性が高い。
慣れてしまえばトイレの洗浄レバーをひねるかのように片手でささっとトイレットペーパーを切れる技も身につくのかもしれない。


そして私も、かつてバスタオルをやめた1人である。
私がバスタオルをやめたのは大学に入ってすぐの頃だった。
当時住んでいた部屋にはベランダがなく、部屋干しか、浴室乾燥もないただの換気扇がまわるバスルームに洗濯物を干すというなんともじっとりとした生活を送っていたのだが、乾きが遅いのもさることながら、バスタオルは収納にもかなりの場所を取られる。
狭い1人暮らしの家に住んでいた私はうーんと頭を悩ませていた。

そしてある時ふと思ったのが、そもそものこの大きさ。
これ、私にこんなに必要だろうか。

どれだけ大きな成人男性だって、ちょっと太めのマダムだってみんな大体このサイズのバスタオルを使っている。
その比率で行くと、ドワーフレベルの私なんぞ手ぬぐいくらいでささっと拭けてしまうのでは?
しかも当時髪も長くなかった私。なんなら犬のようにブルブルとひと暴れすれば大体乾いているようなもんである。
うん。バスタオルは私にとって布過多、贅沢品であろう。
そう思った私は、家のタオルをフェイスタオルのみに一本化したのである。

干すのも楽だし、早く乾く。
そして収納時も場所をそんなに取らないので、今までタオルをぎゅうぎゅうと詰めていたところにいい感じに余裕ができた。タオルの大きさが揃っているだけでなんとなく整頓された気がするのもよい。
そして案の定、猫の額よりは大きいが象の額分くらいしかなさそうな私の体はフェイスタオルで拭くので十分事足りたのである。


確かに実践した当初は「うーん、やっぱりバフっと大きなタオルにくるまりたいな」とも思ったものの、これがうちのバスタオルだよと思って慣れてしまえばそんなことはすっかり感じなくなった。
むしろそのうちよくしたもので、旅行に行ってホテルや旅館などの大きなバスタオルを使うと「えっ、こんなに大きなタオルで...いいんですか?」と、今までは見出せていなかった謎の贅沢感を味わえるまでになった。

ストレスにならないくらいの日々の小さな節制(?)は、今まで当たり前のように享受していたささやかな贅沢を再認識し、幸せをもたらしてくれる。


その他にも、我が家にはバスマットがなかったり、家電でいうとトースターがなかったり、調味料でいうと砂糖やサラダ油がなかったりするが、なければないで、違うものがその代わりになったり案外それ自体必要がないというものもある。

ミニマリストほどものをなくそうとは思っていないが、普段の生活で「だってあるのが普通だから」と無意識で置いているものや使っているものに新たな目を向けてみたり改めてその必要性を考えてみると、ちょっと違う生活の扉が開くかもしれない。

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