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ターゲット設定は"サイエンス"でコンセプトメイクは"アート"という話

こんにちは。やまざきひとみです。

プロデュースの仕事をする上で最初にやることとして多いのが、ターゲットの設定やコンセプトメイクです。

この2つがブレると失敗とまではいかないけれど、後の軌道修正に多大な、本当に甚大なコストを使うことになります。一回決めたことをやり直すのではなくうまーくズラして成功させるのは、関わる人が多いほど骨が折れますし、成功確率も低いです。

要は、実際に市場が存在するのか?(ターゲット)と、その市場が本当に求めているものはなんなのか?(コンセプト)がブレていることになるからです。

ターゲットをアートにしちゃう事例

ちなみに、アートとサイエンスという概念上でいくと、ターゲット設定はサイエンスで、コンセプトメイクはアートです。この組み合わせも、間違えると色々大変です。

例えば、ターゲット設定をアートにしちゃってる事例で多いのが、自分の主観をターゲットにしてしまう例。自分が欲しい物を作る、とか、自分のペルソナに近いものをターゲット設定してしまう例です。

自分が欲しい物を作って大成功する事例がごくたまにあるのですが、それはターゲット設定の行程が正しかったのではなく、たまたま自分のペルソナがマジョリティにハマっていた、ということだと思います。

「自分がみえていない」という表現がありますが、意外と人は、自分の価値観と世の中の価値観との距離を測れないものです。

プロデュースをする上で必須なのは、世の中の価値観の変動を察知し、自分の価値観との距離を把握する力です。

その上で、このターゲットでいこうと思ったとしても、その市場規模は世の中の情報でいくらでも調べられるので、必ず数値化して確かめる必要があります(意外と少なかったりします)。

例えば私はよく女性系メディアのプロデュースを依頼されますが、実績になったメディアで自分がペルソナのど真ん中だったものは1つもありません。「やまざきさんが女性だから、やまざきさんの主観を反映したら結果につながった(要はターゲットをアート的なアプローチで決めた)」と言われると、ちょっと反論したくなります。

そもそも、35歳でシングルマザーでバツイチで社長でプロデュースが得意なんていう人格はものすごくマイノリティです。価値観が近い友達も年々減っていく一方だし(自虐)、私がほしいメディアを作ったら、事業的にグロースさせるのは相当ハードな仕事になるでしょう。

コンセプトをサイエンスにすると既に世の中にあるものしか作れない

コンセプトをサイエンス的につくるのも危険です。私は常々、人は本当にほしいものなんて自分では意識できていないと思っています。アンケートやヒアリングででてくるのはその人の中に「顕在化」している欲求であり、潜在的な欲求は仮説からしか生まれないと思うからです。

それから、欲望というのはそもそも複雑です。欲求の仮説が抽象的な概念で複数でてきた時、それを具体化する作業が必要ですが、具体化するというのは単純な作業=単純化とは大きく違って、むしろデザイン的な作業が必要です。(具体化を単純化と勘違いしているひとが意外と多い)

ターゲットが本当に欲しているものをデザイン的な作業で具体的に定義するのがコンセプトメイクで、それはやっぱりアートなのだと思います。

アートな思考とサイエンスな思考を使い分ける

プロデュースをする上で今自分がやっていることが「アート」なのか「サイエンス」なのかを理解するのは大切です。「センスの正体」でも考察しましたが、プロデューサーの仕事はときに感覚的だと周囲の人を誤解させるからです。

新しい価値を創造することがプロデューサーの仕事だとすると、サイエンス=世の中に既に存在しているものの定量的評価だけでアウトプットはできません。けれど、サイエンスは万人に説明が可能で、アートは万人に説明することは不可能です。

プロデューサーは自分がやろうとしていることを自分の言葉でステークホルダーに説明する必要があるけれど、すべてサイエンスで説明可能な仕事をしているのだとしたら、それはひどく標準的な仕事になるでしょう。

アート的な部分は、アウトプットしてはじめて評価を得ます。「出してみないとわからない」とよく言いますが、それはアートな部分が説明困難という意味で、プロデューサーの中で必ず成功するはずだというアートなコンセプトが存在しなかったとしたら、出しても失敗するでしょう。

アートとサイエンスという概念が前提にあることを、プロジェクトに関わるチームと認識合わせすると、成功する確率があがるのかもしれないなと思いました。



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