マガジンのカバー画像

旅するマガジン

152
運営しているクリエイター

記事一覧

隠岐へ向かう

隠岐へ向かう

隠岐へ向かうフェリーに乗り込んだ乗客たちは、さっさと床に寝そべって眠ってしまい、旅人である私たちは、「なんてグウタラな人たちか」と憤慨しました。

でも、強風と高波にあおられてやがてフェリーは激しく揺れ始め、私たちも彼等を見倣って寝そべりました。寝そべりながら、ある歌のことを思っていました。

それは、天皇の怒りに触れて隠岐へ流刑される男が京の都の人人に送った歌です。遠く離れた孤島へ渡っていく心細

もっとみる
鳥取駅からバスで25分

鳥取駅からバスで25分

鳥取駅からバスで25分。鳥取砂丘は、意外と市街地にありました。「砂丘といったって観光地なわけで、タカが知れてる」。私は、タカをくくっていました。

でも、歩き始めてみれば「馬の背」までの道のりは、想像以上に長く、その上、折からの悪天と吹き付ける強風によって、今や歩行もままなりません。

風の中に目を凝らしても、振り返っても、足跡は、もう半ばかき消されて、私たちは、方向を見失ってしまいました。観光地

もっとみる
東西1.3キロメートル

東西1.3キロメートル

東西1.3キロメートル、南北1キロメートル。平城宮は、120ヘクタールの広さがありました。奈良時代、おそらくその場所は、一等地でした。

現代においても、本来であればその場所は、盆地の中の一等地です。でも、その一等地を野っ原として保存(放置)している。それが平城宮跡の偉大さです。

夜、私たちは、大和西大寺のホテルにいて、遠くに見える東大寺の明かりと、その手前に広がる野っ原の闇と、闇の中を緩行して

もっとみる
鹿せんべい

鹿せんべい

鹿せんべいを手にカップルがウロウロしています。朝は目ざとくせんべいを求めてきた鹿たちは、今は鼻先に差し出されてもそっぽを向いてしまいます。

「もう飽きとんねん」「そらそやなぁ。鹿せんべいもそろそろマンネリやで」「どうしよ、持って帰って犬にでも食わすか」「犬に食べさせても平気か」。

「鹿せんべいは、江戸時代から始まった「奈良のシカ」と人とのふれあいに欠かせないものであり、歴史的背景をもつ文化です

もっとみる
阿修羅像を眺めながら

阿修羅像を眺めながら

阿修羅像を眺めながら、少年が父親に聞きます。「何で顔が3つもあるの?」。「3つの顔はそれぞれ幼少期、思春期、青年期を表しているんですよ」。

横からガイドが教えてくれます。父親の方がそれを面白がり、「じゃあ、お前は、今、これぐらいの時期かなぁ」と左の顔を覗き込みます。

少年は、まさにその像のように手足が長く、しなやかな肉付きの美男子でした。「この像は、光明皇后が亡くなった皇子をしのんで造らせたと

もっとみる
小泊

小泊

小泊は、太宰にとって育ての母のような存在だった越野タケが嫁いだ地であり、小説「津軽」の山場で30年振りにタケとの感動的な再会を果たす場所です。

母性を求めて津軽を旅した太宰は、「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日」と、この地で小説を結びます。

でも、実際の再会は、小説よりもずっとあっさりと、二言三言、言葉を交わした程度だった、と地元の人に教わり、「

もっとみる
竜飛崎について

竜飛崎について

竜飛崎について太宰は、いいます。「ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ」。私たちもそこにいました。

灯台近くに「津軽海峡・冬景色」の碑があり、不用意にそのボタンを押した私たちは、大音量で流れ出した石川さゆりの歌声におののき、そして赤面しました。

他に人影もなく、歌声は、吹雪を縫って響きます。そして私たちは、気が付きました。津軽海峡・冬景色とは、あれ

もっとみる
尻屋岬という岬の先に

尻屋岬という岬の先に

尻屋岬という岬の先に、寒立馬がいる。取り分け今時分、吹雪の中に立つ姿は、感動的である。そんなうろ覚えの知識にすがって、青森へやって来ました。

「寒立馬は、どこにいますか」とバスの運転手に尋ねても、「放牧馬なんでね」とにべもなく、やむを得ず岬の突端近くの適当な停留所で降りて歩き始めます。

そこには本州と北海道の隙間を縫って大陸からの風が吹き付けていました。「いくら寒立馬でも、何も好き好んでこんな

もっとみる
飛行機に乗ってしまえば

飛行機に乗ってしまえば

飛行機に乗ってしまえば、2〜3時間。国内線の感覚と変わりありません。韓国とは、それ程近い国です。その国からファーストクラスで帰って来ました。

エコノミーを予約していた私たちは、「席に空きがある」という理由で前の方の席に案内されました。CAは、わざわざ私たちの名前で呼び掛けてくれます。

そして、いつもより少し柔らかいシートに腰掛け、少し良い食事を食べました。でも、たかだか2〜3時間。どこに座って

もっとみる
プサン

プサン

プサンは、山に囲まれた港町。町の中心からは、沢山の家屋が並ぶ集落が遠くの山肌に見えます。20分程バスで行ったカムチョンドンも、その一つ。

朝鮮戦争で北朝鮮側から逃れて来た人たちが作った家屋密集地が、マチュピチュプロジェクトという町おこしでアートがあふれる観光地に変貌を遂げました。

赤や青、茶やピンク、そしてオレンジ。鮮やかに彩られた家家は、形も色もそれぞれが個性的だけれども、全体として見れば調

もっとみる
朝食を求めて

朝食を求めて

朝食を求めてプサン駅の構内を歩いています。ハングルを解さない、しかも小心者の私たちは、「おいしそうな店」より「入りやすそうな店」を探します。

やっと1軒を探し当て、席に着きます。後から、10人ほどの団体がドヤドヤと入ってきました。アジュンマは、水を給仕し、メニューの説明等していました。

でも彼等は、注文せずにドヤドヤと出て行ってしまいました。その後しばらくアジュンマの怒りが収まらず、他の客を気

もっとみる
韓国の正月といえば

韓国の正月といえば

韓国の正月といえば、旧正月。だから1月は、淡淡と過ぎて行きます。私たちは、トンネ温泉にいて、日本の慣習でいえば初湯に浸かっています。

西洋と同様、この国では家に湯船がなくお風呂に浸かる習慣がない、と聞きます。それでも、銭湯へ行く文化が根付いていて、この日帰り温泉も盛況です。

親子連れも多く、子どもの身体を洗ってやり、あるいは髪を拭いてやる親の姿が見られます。成人に近い子どもに対しても、世話を焼

もっとみる
あなたの国へ

あなたの国へ

あなたの国へ初めて行きます。プサンへ。そう報告する私に、「韓国へ行くならソウルじゃないんですか」と、首都出身のJさんが尋ねます。

私にとってのソウルは、十分に国際都市で、だからトーキョーと大差ない都市に見えます。「どうせ韓国へ行くなら、韓国的な場所に行きたいんです」。

「韓国的って、何ですかね」。Jさんは、なおも不思議がります。「外国人にとってのキョートと同じです」とお茶を濁して、この町へやっ

もっとみる
夏の暑さを避けて

夏の暑さを避けて

夏の暑さを避けて看板役者たちが興行を休む夏土用の頃、若手の役者たちが稽古を兼ねた安芝居を打ちました。「土用芝居」は、夏の季語です。

秋土用の広島平和記念資料館では、被爆体験伝承者が被爆体験を語っていました。3年間を掛けて、被爆者から被爆体験を受け継いだ人たちなのだ、とか。

「体験は、体験した者にしか語り得ないものなのか」。私には、判断がつきませんでした。

土用芝居とは、若手の育成のために、重

もっとみる