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「嫌」を感じるこころと身体

「嫌」を感じたくないと思えば思うほど、抑えこもうとすればするほど膨れ上がっていく。たとえ上手にしまい込んだとしても。こころのそれは、もう違和感として、気持ち悪さとしてそのままにはできなくなってきた。

身体もまた同じ。痛みや不快感を「嫌」として扱おうとそればするほど、痛みが増す。不快感があることを身体はより強く感じさせてくる。それがあることを受け止めると不快感・痛みの感じ方は変わってくるかなと感じている。

それを体感していても、「嫌」は発生するわけで。ここ数日の私の感じた「嫌」を書き留めておこうと思う。


綴ることに関して


ユキの死について綴るのは苦しい。でも自分の中の整理だから。ただ、こうしてそれを公開して「この人、大丈夫なの?」「いつまでも引きずってる」「悲しみに酔ってる」「彼の死を晒してる」そういう反応されているんじゃないか、と周りからの視線も気にしている自分が嫌。批判もまだまだ怖がっていて、それも「嫌」に含まれてる。

私は苦しくても、みっともなくても綴りたいと思った。私が選んだこと、目の前に起きた現実、大切にしたい真実、そしてこれからのことも。その自分にgoを出したから、周りからの視線を気にしている自分、怖さという『嫌』も感じながら、みっともないまま綴っていこうと思う。


満月とともに湧き上がる「嫌」と感じること


昨日は満月だったせいか、朝起きたら浮腫みが酷い。梅雨の季節はそもそも湿度が高くて腎臓にくるから、浮腫みやすいのだけど。この湿度の高い梅雨から夏の間の身体の反応が毎年「嫌」。身体も足元から冷えているのを感じて、朝から湯船に浸かると身体の怠さ、浮腫みがマシになる。気温・湿度が高い時ほど冷やしたくなるけど、足元だけは温めておくのがいい。


身体の反応と共に、ユキがいない寂しさも溢れて仕方ない。身体とこころつながっているから。いくら今の時点で落とし所(下の記事↓)が見つかっても、歩み出していても、こころが「悲しい、寂しい」と身体を振動させる。涙が溢れる。




身体が記憶している。身体はその振動を死ぬまで忘れない。



少し前まではパニック症状だった。落ち着かなくなり、寒気がしてくる。ガタガタと身体が震えだす、呼吸ができない。許せない気持ちも、怒りも、悲しみも、寂しさも、無力感も、自分が目にした光景も、音も、感触も、フラッシュバックするように溢れだす。何度もその波が来ていた。



そんな激しい身体の振動は落ち着いてきたけれど、どうしたって「悲しい・寂しい」私のこころ。時間が経つと「それをまだ抱えている」と自分で無意識に抑える。感じたらいけないという思い。そして辛いから、「もう嫌」と。


でも、『身体が記憶している。身体はその振動を死ぬまで忘れない。』


それならば・・・嫌と感じるこころも、身体の反応も、ユキと過ごした記憶ならば喜んで、全部受け止めよう。私のこの身体がある限り、何度でも。静かな涙じゃなくてもいい。時には思いっきり泣かせてあげよう。そして、その度に思い出そう、私はこれから何を選んでいくのか、何が願いなのかを。こころはきっと静まっていく。


私は「ありがとう」でユキに返していくことがきっとできる。


こころの「嫌」も身体の「嫌」もなくそうとしない。それを感じて何を選んでいくか決める。揺れながらでも、それを積み重ねる今を。






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