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僕が夢を諦めきれなかった理由。

自分で決意し、自分の人生を生きるか。
他人の評価や顔色を気にしながら、他人の人生を生きるか。

人生の幸福度を決める大きな二つの選択肢です。


僕が夢を諦めきれなかった理由は、自分の人生を生きたかったから。
それまでずっと、他人の人生ばかり生きてきたから。

これを読んでくださっているあなたは、どちらの人生を歩んでいるでしょうか。

あなたの夢に繋がる出来事が、​必ずあなたの人生のストーリーの中にあると信じています。


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前回、退社願を上司に提出した記事を書きました。



19歳で一度諦めた夢、心理カウンセラー。

ちょっと色は違えど、僕はこれから占星術カウンセラーとして活動していきます。占星術をベースに、心理カウンセリングやコーチングのスキルを活かし、お客様の未来変容をサポートする。

なぜ19歳で一度心理カウンセラーを諦めたのに、3人の子どもを抱えた後で再び目指しだしたのか。ずっと根っこで諦めきれずにいたのかを綴りました。


1.心理カウンセラーになろうと思ったきっかけ

僕自身、物心ついた頃から人目や人の顔色をすごく気にするタイプで、自我を表現するのが苦手な子でした。

小中と、見た目も態度も優等生。成績もクラスでは優秀。模範となる子でした。完璧主義の頑張り屋でした。でもその内側では物凄くストレスを抱えていて、いつもウジウジしていました。

あまり話すのが上手でない一方、人の話を聴くことには長けていました。特に、女子の友人の相談相手になることは多かったです。


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18歳になっても人の顔色ばかり気にしていた僕でしたが、部活でキャプテンを務めた時に、部の方針で顧問と衝突。レギュラーメンバーと仲間割れ。何を考えても八方ふさがりで、当時僕を支えてくれていた先生から、カウンセリングを受けることを勧められました。

そこで出会ったスクールカウンセラーの方に、すごく救われたのです。

スクールカウンセラーは、僕の想いを丁寧に聴き、時には一緒に涙してくれました。これからの方向性を一緒に寄り添い考えてくれました。

僕自身が元々悩み相談を受けるのは得意だったし、僕にとっては喜びを感じるポイントだったので、「これが仕事に出来たらどれだけ素晴らしいだろう」と思ったのです。


2.覚悟が無く、夢を諦める19歳

当時は理系の学校(高専という5年生の学校です)に通っていました。19歳は進路を考える年。

このままエスカレートで大学編入、大手メーカー就職まで考えられるようなルートが見えていたものですから、「心理カウンセラーになりたい」という僕に両親は猛反対。

特に父の一言は僕にとって夢を諦める大きなきっかけになりました。


「20代そこそこの若造に、人様の悩みの何が分かるんだ」


たしかに、人生経験が少なければ、拾えない悩みもあるでしょう。
今思えば、心理学を学ぶことで、何歳になっても人が躓きやすい部分を、理論と技術を伴って癒すのが大学で学ぶ意味ですから、そこで折れる必要はありませんでした。

その当時の僕は、そこまで覚悟が決まっていませんでした。だから、何も言い返せなかったのです。自分でお金を稼いでまで心理学を学ぶ気概も無く、夢を諦めてしまいました。


3.夢を諦めたことを後悔した大事件


大学に編入して3カ月。高専時代の部活の先輩から一本の電話がかかってきました。

その先輩は学業も部活も優秀で、人徳があり、誰からも愛される先輩でした。僕もとても尊敬していた先輩の一人です。同じ理系の高専を出たのにも関わらず、介護の道に進まれていて。

電話の内容は、共通の知人の連絡先を教えてほしいという内容でした。
せっかくの機会だったので、電話を受けた僕は、何も考えず「今どうされてるんですか?」と聞きました。

すると先輩は、「今ちょっと学校休んでるんだよね。」と一言。


僕はそこで無意識に、

「ん?おかしいぞ。」

と言葉にならない違和感を覚えたのを、今でも鮮明に覚えています。


「(・・・あの優秀で人間が出来ている先輩が休んでいるということは、もしかして気を病まれているのでは?)」

当時から無意識に人の想いを汲み取るのが得意な僕は、そんなことを思ったものの、久々の電話でそんなことは聞けず、知人の連絡先を伝えて、「また会いましょうね」と伝えて電話を切りました。


そしてその3カ月後。

18歳の当時、部活で仲間割れしていたメンバーからの着信がありました。

滅多に連絡を取らない仲間の名前を観た瞬間に、僕はただ事ではないことを察しました。



「〇〇さん(先輩)が自殺したって。」



その言葉を聞いた瞬間、世界が遠く感じました。


先輩の異変に気付いていたのに、何も言えなかった。

時間は一杯あったのに、電話の一本もかけられなかった。

仮にも一度心理カウンセラーを夢見て目指そうとしていたにも関わらず、何もすることが出来なかった。


先輩にもう会えない寂しさと同時に、一瞬で大きな後悔の念に駆られたのです。


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4.大事件が生んだ決意


葬儀の際に、当時の部活の顧問と話をしたのです。

顧問は先輩についてこう語りました。


「あいつ(先輩)は完璧主義だったからな。」


顧問が言ったこの一言が、僕の人生に転機を与えてくれました。


先輩は、学業も部活も人付き合いも”優秀に”こなす中で、どこか自分らしく生きていなかったのでしょう。

根がものすごく優しい人だったからこそ介護の道を選ばれたのだと思います。

ただ、それまで完璧主義でいて、”誰かの人生を生きて来た”ことで、自分が本来やりたいことに戸惑いを覚え、苦しまれたのだと思いました。

なぜなら、僕も同じように、自分らしく生きられず、自分を表現できず、自分が本来やりたいことに戸惑いを覚え、誰かの人生を生きることで苦しんできたからです。


この一言で僕は、自分が自分を縛り付け、苦しめていたことに初めて気付くことができたのです。

ここで、誰かの人生を歩むのをやめようと決めました。自分が自分らしく生きること、自分を表現して生きること。

そして、本職の心理カウンセラーにはなれなくても、同じように悩む人に寄り添おうと決めたのです。


一つ一つの花に光を



5.自分の人生を生きること


この大事件で抱いた後悔があるからこそ、僕はずっと夢を諦めきれなかったのです。結局自分が本当にやりたいことに辿り着くまでに時間はかかりました。2回の転職と、近く訪れる退職と。

でも、夢があったからこそ、自分で決めた自分の人生を歩む決断をすることが出来ました。

関わる人たちが誰かの人生を生きるのをやめて、自分の人生を自分の足で歩むこと。未来への不安を解消し、自分らしく生きることで未来を変容させられる人が一人でも多く増えるように、僕は全力でサポートをしていきます。



ちなみに、僕が西洋占星術に出会い、心理カウンセラーという夢が、自分が生まれて決めて来た『天職』だと知るのは、先輩が亡くなって12年ほど経ったとある日のことでした。

この話は、また別の機会に。


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