出生時の記憶【企画参加】
企画参加は、いつもみおいちさんの記事から〜。
自分の覚えている一番古い記憶を、シェアする企画だそうです。
私も、記憶と言っていいかわからない、曖昧なものがあるんですよね。
それはまず、小学生の頃の記憶になります。
体育館に整列して、何かの集会に参加している時間。
まだ新築と言っても差し支えのない体育館の、舞台を挟んだ両側の二階の窓から差し込んでくる明るい光。その光と共に、目の前にチラチラと降り注ぐ幾何学模様(注意・模様は私だけが認識しています)。ホコリが舞い降りる様子を見たのがきっかけだったのかもしれません。
先生の声しか聞こえない静かな時間に、何かにチャネリングでもしているかのような幾何学模様のチラチラを光の中に見て、
『大丈夫、これは怖いものではなくて、大丈夫なほうだ』
と思いました。
目を閉じて眼球を押すと、チカチカしますよね(そう思って、今やってみたらしなかったけど…)。頭を打った時に、目に星が出るような感じというか。わかっていただけますでしょうか。
どうやらそれに種類があって、
怖い時の記憶とリンクしているもの。
そうじゃないもの。
の二つがあると、当時の私は認識していたようです。
それ以外のタイミングで見ることもありましたが、忘れてしまいました。何度も反芻するかのように、この模様は、ふとした時にあらわれました。
「怖くないほう」の模様が、何の時の記憶と紐づいているのか?
安心という感情が湧いたので思い出さなくてもいいかなと思いましたが、
私が「怖い」と思っていたほう。
これは、私が今の年齢になって、もしかしたらと腑に落ちた「想像」になるのですが、あれは母の産道を通っていた時の辛かった記憶なのではないかと。
私は第一子ですので、出産に時間がかかっていたはずです。そのように聞いたような記憶もうっすらと(すみません、母は他界しています)。
出産は母子の共同作業ですから、母親が辛かった時、子どもも物理的に辛かったのではないか。そしてその記憶が、閉じられた目の中で、圧迫されて見えていた光の模様とリンクしていたのではないか。
そのように考えると、赤ちゃんが理由もなく泣くという行為に合点が行きます。少なくとも、時々は、出産時の辛かった記憶を思い出して泣いているのかもしれない、と思うことができます。
私が実際に、赤子の子どもたちを育てていたときは考えもしませんでしたが、あるかもしれませんよね。
人に話すようなことでもないし、こちらに書かせていただく機会ができ、感謝です。1人で納得したあとは、記憶も風化しかけていました。
ここに書いたので、いよいよ忘れてしまいそうな気がしています。
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これ以外で幼かった頃の記憶といえば、寝室のオレンジ色の豆電球。夜はいつも豆電球がつけっぱなしだったこと、ゴミ箱を漁っていたこと(!)ですね。そして、1歳半違いの妹が生まれた時に、家族が「男の子じゃなかった」と話していたことです。
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こちらの企画は、くまさん発案をおひたちさんが企画に押し上げたそうで、既視感のある経緯だなあ、なんて(カラオケ企画のことですよ!)
興味深い企画をありがとうございました。
ご覧いただきましてありがとうございます♪