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アートの義務感から解放をめざすよ、自分


「パステルで絵を描くと、上手じゃなくても味がでる気がするよ 」

昨日書いた記事の、オリジナルタイトルです。思うところあって、タイトルや文章の一部をさきほど訂正しました。

今日は、その思うところを書いていきます。


そもそもは母の日だから付き合ってと、娘と自宅で遊び描いた絵。
これをアップしたいんだけど、描き慣れてない感満載だし恥ずかしいなあ。
そういう気持ちで仕上げた、300文字に満たない文章にいただいた感想からでした。

・絵の上手下手とはどういうことか。
・写実的な再現を求めることが「上手」であるならば、アートというよりはサイエンスなのではないか。
・アートは、既存のこりかたまった固定概念を覆すためにあると考える。

などのご指摘を受けまして、いろんなことを考えました。

1・絵が上手とか下手とかの表現をしてしまうこと

絵は、訓練をして写実的に書き上げることが一つの到達点。崩したような絵も、精密な絵が描けるスキルがあるから、価値が出る。
そうでなければ、ただのスキルがない絵。

そのような考え方を持っていました。

これは、他の方が描いた物への評価基準ではなくて、自分が描いた場合、他人にどう見られるのかを意識したものでした。練習が足りてない、そもそもそれは情熱がないからではないか。情熱がないのなら意味あるの? 披露すべきでない。

いやだわぁ、全然嬉しくない思考の流れですね。

そしてこの「上手」「下手」という言葉には、良くも悪くも強いエネルギーがあることに気づきました。
評価基準の言葉なんですね。(あたり前ですか?)

今までの人生、評価されまくりですから、嫌な記憶の一つや二つ連想して出てきたり、

というか、コメントをいただいてから、実際に自分が自分でダメ出しをしてしまった記憶が蘇りました。

「絵、下手だよね、自分」みたいな。

自分を卑下すれば評価される、というダブルスタンダードを義務教育の間に知ってしまっていて、そういう思考が正しいもの。という意識。

一方で、サブカルと呼ばれるものに共感していて、

そんな世界にクソッタレ!!!

みたいな、別にティーンだからという理由だけではない「心の叫び」も持ち合わせていました。

2・パステルという画材

はじめの書き方では、パステルへの愛は一切出ておりませんでした。そのため、画材をバカにしていると取られても仕方がなかった。

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パステルの存在を知ったのは、8年くらい前でしょうか。

茶こしで削って粉にして、それを指につけてクルクル絵を描く。
ぱあっと、世界が華やいだような気がしました。
感触すら、なんて楽しい。

ペイントを指につけて描くものは見かけたことがありますが、パステルは削る作業からユニーク。そして、優しい色合いなのがまた良い。
子供が小さかったから、指を使って面で描けるというのもよかった。

と、パステルをベタ褒めする割に減りが少ないのは、なかなか描いていないからですね。特別行事にしていました。

ところで、色鉛筆という画材は緊張します。
それはきっとすごくテクニックが必要だとか、そういう知識を先に仕入れてしまっているからなのだと思います。線の細さもバランスを取るのに緊張します。

それがパステルだと、初めから面で描く前提(私の中で)なので、やってみようという心の敷居が低くなるんですね。

そのところを少しでも滲ませればよかったなあ、という反省から「好き」と書き直しております。

3・味わい

色合いだけのせいじゃないと思うんですよね。
「味が出る」という表現をついつい使いたくなってしまいます。

いさと うださんから

既存の価値基準に基づかない、むしろそこから逸脱した「個の創意や心意気」にあるのでは?

とご意見をいただきました。

パステルの味わいは「開放感」なのかな、と私は思います。

指で色をのせて、どんな色合いになるかな? と純粋に楽しめる。(あ、それはまだ初心者だからか…)
そんな描いている時の感情も、絵に乗るのではないかな、なんて感じます。

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4・大人の私自身と子どもに求めるもの

今回、絵やアートについて真面目に考えるきっかけをいただき、思ったこと。

子どもにはのびのびと楽しく絵やアートに取り組んでもらいたい

反面

おとなの私は、技術も伴った絵やアートでないと恥ずかしい。見る人に申し訳ない。

という枷を勝手にはめ込んでいたこと。

フリーハンドの刺繍は曲線だから難しいけど、クロスステッチは塗り絵みたいだからできるんだ、って思ってきたけど、「クロスステッチの方が自分の好みなんだ」で終わらせて良い、みたいなことかな。

そうか、折り目がきっちりつけられる折り紙、編み目がきっちり数えられるあみぐるみ、好きですって今まで言えたものって、そういうことか。
今でも好きなのは変わりませんけど。


それが好きなら言い訳はいらない。

大人も子どもも、のびのびで良い。

子供が産まれて、一緒に遊ぶお絵かきや小麦ねんど、折り紙などをしてきて実際楽しかったけど、「大人なんだから、これで良しとは言ったらだめ」という意識を解放する方向で。



夫と結婚して知った、義母が趣味として絵手紙を描いていたこと。
「下手なんだけど、奮発して色筆の良いのを買った」って。
鉛筆で孫の絵も描いてくれたり、「ああ、この人と結婚してよかった。この家族でよかった」と嬉しかったんです。
忘れてちゃダメですよね。

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5・泣けてきた

それで、昨晩はコメントを読んで真剣に考えてたら涙が出てきて。
別に悲しい涙では全くなくて、自分で枷をはめ込んでいたことに気づいたとか、浄化という言葉に近いものです。


今日は娘が来年から通うハイスクール(中高一貫)で、アートのオーディションがあったんです。受かったら、課外活動でアートができるという、美術部みたいなものなんですけど、人数制限の審査があると思っていただければ。(校区外の子にとっては、入学資格を得る受験でもあります)

3点以上のポートフォリオ作品を持参して、その場でも絵を描くという課題でした。

持ち込んだ作品は、デジタル画は気合が入っていたけど、私も一緒に描いて取り組んだアナログなものは、「もっと手を加えて」とか口を出したくなりました。実際少し提案をしましたけど、娘には不評で。なので、見るからに大人の手は加えられていないぞっていうものを持っていきました。

「受からなくても家でできるし」とか言っていて、「なぬ?」と思いつつ、確かに息子はどこにも所属していませんが、自分で思い立ち、ペン画を独学で楽しんでいます。娘も、鉛筆やペンでスケッチブックに絵を描くのは好きです。

と、いうことで、昨日書いた記事をちょっと変更しましたというご報告でした。ここまで読み進めてくださったあなたに感謝の意を表して、今日はもう眠ろうと思います。

ありがとうございます。
おやすみなさい。



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