「仕事」は社会的に容認された「暇つぶし」?phaさんの著書から考える
「仕事」をする意味とはなんでしょうか?
飯の糧?
生きがい?
成人したら働くものだから?
どれが正しくて、どれが間違っていると言うつもりはありませんが、仕事をどう捉えるかは、その人の人生感を強く表すと思います。
次の引用文は、phaさんの『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』の中の一節です。
phaさんは小さい頃から決められたスケジュールに合わせるのが苦痛だったそうで、京都大学を卒業後、一度は就職してみたものの、やっぱり合わずに28歳で退職。
それ以来、シェアハウスでニート生活を送っています。
phaさんの仕事に対するスタンスは明確で、ずばり「なるべく働きたくない」。
労働を「美徳」とする価値観もいまだ根強くある中、それを「暇潰し」と表現している辺りに、働くことを「善」と捉えることへの疑問・違和感が、端的に表されています。
phaさんによると、人は “何か自分を取り囲んでいる世界に影響を与えられる” 存在だと思いたい生き物です。
その「世界」というのは、人それぞれ異なっていて、
「趣味の庭仕事に没頭する」のも「ゲームの中で街を発展させる」のも、自分が働きかけることでその世界に変化を起こすという意味では「仕事を頑張る」ことと本質的に変わりがないと言います。
ただし、人間は社会的な生き物でもあるため、他人から「認めてもらう」ことが全くないと虚しさや寂しさを感じてしまいます。
その点、「仕事」というのは他人のため、社会のために何か貢献することですから承認欲求も満たされやすく、虚しさから逃れる手段としては効率的だといいます。
今現在、仕事を充実させようと頑張っていたり、仕事が楽しい人にとっては、このような考えは意欲に水を差すだけかもしれません。
ですが、「労働は美徳だ」という価値観にしか触れたことがなく、
「仕事を頑張ることは当たり前。それができない人はダメな人間だ」
という考え方しかできないと、思うように仕事ができなくなったとき、自分で自分の首を絞めてしまいそうです。
「仕事」への考え方は人それぞれで、
生活のために働く人がいてもいいし、なるべく働きたくないという人がいてもいい。
もちろん、仕事が大好きで生きがいだから、バリバリ働きたいであってもいい。
自分の中に、いろいろな価値観をストックしておくことは、他人の価値観を受け入れることにも繋がると思います。
どうにも仕事がうまくいかなくなったとき、
「仕事なんて所詮、ただの暇つぶし」
「寂しさから逃れるための効率的な手段」
と、斜に構えてみるのも悪くないかもしれません。
さらに詳しい解説記事はこちら↓↓
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。