子どもの成長と共に変化する「おしゃれ心」
以前、市内の図書館を巡っていると、ファッションに関する本ばかりが気になってしまうことがありました。
その数日前にプチ衣替えをした際、昨年のワードローブに違和感を覚えたことが心のどこかで引っかかっていたからだと思います。
久しぶりに図書館で借りて開いてみたファッション誌は、キラキラして眩しかったです。
自分の秋冬のワードローブを見てみると、ざっくりこんな感じ。
パンツ (ジーンズ、黒スキニー) 2枚
スカート 2枚
セーター (薄手 3枚、厚手 2枚 ) 計5枚
パーカー 1枚
ブルゾン 1枚
ダウンコート 1枚
ダッフルコート1枚
下着類やアンダーシャツ、マフラーなどの小物類は、もちろん別に持っていますが、本当にこれくらいで事足りてしまいます。
真夏はもっと極端で、まったく同じ白のTシャツ3枚をローテーションし、下のスカートだけ変えていました。
スティーブジョブズばりに、毎日同じ服を着続けていたのです。
(「選択による消耗を少しでも減らす」という目的で、黒のタートルネックにジーンズを着続けていたのは、有名なエピソードです。)
というのも、子育てしながら働く私にとって、毎日の服選びは「小さなストレス」以外のなにものでもなかったから。
ただでさえ時間がない朝に、自分の身支度に気を使っている余裕はありません。服の枚数を絞ることは、日々の生活をイライラせずに回すための小さな工夫の一つだったのです。
今でも、通勤服は「場違いでなく清潔であればいい」と割り切っているので、クローゼットを開けて10秒以内には今日着ていく服が決まります。
この快適さを手放すつもりはありません。
でも、
なぜだろう、なにか物足りない……。
いろいろと考えてみた結果、
「持っている服が実用性の高い、汚れても大丈夫な廉価なものばかりだから」
だと気づきました。
いわゆる日常生活の延長線上で、少し気分を上げたいときに着ていく「ちょっとおしゃれな服」が一枚もなかったのです。
あれ?…ということは、
私、おしゃれしたいと思ってる?
服で気分を上げたいと思っている??
子どもが産まれてから、私が服に求めていたのは完全に「機能」でした。
赤ちゃんがミルクを吐き戻して汚れてしまっても笑顔でいられる価格帯であること、
一緒に公園で走り回っても動きが妨げられないこと、
忙しい日々の中でも脱いだり着たりがしやすく、防寒がしっかりできることなど…。
意識的に、それらを満たした服を選び、その選択に満足できていました。
「おしゃれしたい」だなんて、ちっとも頭に浮かばなかった。
でも今、そんな自分の選択に違和感を覚えているということは、「機能」だけのファッションに対する軸が変化しつつあるのかもしれません。
この変化に、子どもの成長の影響はかなり大きいと思います。
頻度は少ないけれども、友人とランチをしたり、夫と休みを合わせてデートをしたりできるようになりました。
子どもと出かけるときも、以前は公園ばかりだったけれど、それ以外の場所に行く機会も増えた気がします。
忙しさ自体は、子どもがもっと小さかった頃とあまり変わっていませんが、以前より滞りなく毎日をすごせるようになりました。
例えば、新卒で入社したての頃は、右も左も分からず、一つ一つの業務に時間が掛かるわりにミスも多かったりしますが、年数を経るごとに、同じ業務を短時間で確実にこなしていけるようになりますよね。
それ同じように、「母親」を8年もやっていれば、毎日の暮らしを回していく工夫や、突発的なトラブルへの対処能力など、確実に積みあがっていきます。
そのせいもかってか、自分の服について考える「余裕」が出てきたのかもしれません。
この気持ちの変化に正直になって
「ちょっとおしゃれな服」
買ってみようかな…。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。