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【短い小説】キミとの未来は / 7100文字

今回のお話は「この先は、キミと」の前段のお話になります。


すっきりと晴れ渡った空の下。
宵の宮では、新たなる大司祭の就任式が厳かに執り行われていた。
宵の宮は暁の宮の対となる神殿で、両神殿は天界の二大神殿と位置付けられ、天界各地の神殿を束ねる役割を担っている。
暁の宮が光を司る男性神レアを祀り、男性の神官が守る神殿であるのに対し、ここ宵の宮は闇を司る女性神イルを祀り、女性の神官が守る神殿である。
大司祭とは二大神殿の最高位の役職であり、宵の宮の大司祭とは言うなれば天界全土の女性神官を束ねる立場にある。

暁の宮の上級神官であるジンは、暁の宮の司祭たちの介添えとして就任式に参席していた。
司祭たちの後ろに控える彼の前を、大司祭の正装に身を包んだ若い女性が、緊張した面持ちのまま静かに通り過ぎていく。
ジンは、その様子を雄弁な表情で見送っている。

(ルシア。君はとうとう、ここまで上り詰めたのか)


ジンとルシアの出会いは、二人が神官見習いだった頃に遡る。
ルシアが義務教育を終えてすぐに宵の宮の門を叩いたのに対し、ジンは師に付いて薬師の経験を積む傍ら、天界中をあちこち放浪した末に暁の宮の門を叩いている。つまり、二人は同期ではあるが、年齢的にはジンの方が大分年上であった。

両神殿の神官見習いは、最初の一年は二大神殿の中間の場所にある研修施設で男女の別なく共に学ぶことになっている。
ジンは、研修初日の顔合わせの席で、まだあどけなさの残る可憐なルシアにまんまと一目惚れした。

(なんて、美しいひとなんだろう・・・)

ルシアはジンのこれまでの人生で出会ったことがない種類の女性で、彼の目にはまるでショーウィンドウに飾られた高価なバラの花のように見えた。
彼女は少女でありながらも気品があり、そのさりげない立ち振る舞いからも育ちの良さが滲み出ていた。
彼女とジンの間には、言葉を交わすことも憚られるような身分の差があるようにも思えたが、
(でも、ここは神官の研修の場だ。身分の差はない筈だ)
ジンは自分にそう言い聞かせる。
それで、ルシアと何とか言葉を交わして、まずは友達になりたい、と思った。
周囲を見渡すと、どうやら同じことを考えている者は多そうだった。
それほどにルシアの持つ雰囲気は、男性にとって特別なものに見えたのだ。

さて、ジンの方も、女性たちの間で絶大な人気があった。
ジンは、銀の髪と灰と青が煙る神秘的な瞳を持ち、顔立ちも端正な上に背が高く、男性としての魅力を十分に持ち合わせていた。
研修生の中で唯一20歳を超えているジンは、まだ義務教育を終えたばかりの少女たちにとっては素敵な大人の男性に見えたことだろう。
その証拠に、彼ににっこりと微笑まれた少女たちが、瞬時に嬌声を上げて顔を赤らめながら大騒ぎすることしばしばであった。
そして、厄介なことに、ジン本人も自分が女性受けがいいことを熟知している。

そんなわけで、ジンの周りにも人が集まりがちになる中、彼はなるべくルシアの近くに座るように心掛けた。
最初のうちは挨拶程度、そこから講義の内容について議論をするようになり、やがて他愛のない雑談を交わせるようになった。
ルシアは、ジンが放浪時代に体験した話などを興味深そうに聞いてくれた。そこからまた話が広がって、少しずつルシア自身のことも話してくれるようになった。
ルシアの方も、ジンのことを好ましく思ってくれているようだった。

言葉を交わす中でルシアの人となりを理解するようになったジンは、ますます彼女の虜になった。
彼女は物腰が柔らかく、言葉も人に対する接し方も丁寧だが、その反面、芯の強さと厳しさを内包している女性で、ただの世間知らずな深窓の令嬢などではなかったのだ。

ジンは、ルシアは本当に素晴らしい女性だ、と思った。

一年間の研修を終え、活動の場が暁の宮と宵の宮に別れてからも、二人は変わらず親しく言葉を交わす間柄だった。
二人とも相手への思いを明かしたことはなかったが、互いに憎からず思っていることは明白だった。
二人きりで言葉を交わしている時のジンとルシアは、傍から見てもとても幸せそうにしていたのだ。

やがてジンは、ルシアと共にこの先の人生を歩く夢を抱く。
彼女となら、どこか地方の神殿に移って、そこで夫婦仲良く地域密着型の活動をしてもいいな、と思うようになっていた。
そう思ったときに、ジンは今のままではどうにもルシアと釣り合いが取れないと考えた。
というのも、ルシアはいわゆるエリートの家系で、一族からは過去数々の名のある神官を輩出していような家柄だ。彼女の両親もかつては二大神殿で重責を担い、結婚を機に天界西部の基幹神殿に活動の場を移した経歴の持ち主だった。
一方のジンは戦災孤児で何処にも身寄りがなく、いわば天涯孤独の身だ。おまけに出身地はおろか、自分の出自に関することは全くわからない。何しろ、父と母の顔さえ記憶にないのだ。

何処の馬の骨ともわからぬ自分をルシアの両親に認めてもらうには、神官としての実績を作らなければならない。これがジンの出した答えだ。
そこでジンは、最も説得力のありそうな暁の宮の司祭職を目指すことにした。
他の神官に聞かれたら呆れられるほどの不純な動機だが、それでもジンは至って真面目に、真剣に取り組んだ。
天才肌で何をやらせても及第点以上の結果を出せるジンにとって、それは決して困難な作業ではなかった。

程なくして、ジンの神官としての実力は暁の宮上層部にも認められるところとなり、将来の幹部候補と目されるようになった。
暁の宮を取り仕切る大司祭サウルの意向もあり、次の人事では、手始めに上級神官長への昇格が打診されていた。
ここまでは、全て計画通りだった。


そんな時、事件が起こった。
神に近い生き物と言われる龍が、人間によって滅ぼされたのだ。

龍の谷が襲われたとの一報を受けたジンは、医療道具一式が入った肩掛け鞄を手に、他の神官たちに先んじてその現場に向かった。
彼の大事な相棒・水の精霊の水蓮も一緒だ。

龍の谷では毎年この時期に、彼らにとって重要な神事が執り行われる。
この神事への参加は最重要事項で、当然のように天界に住まう龍の全数がここにやってきている筈だった。
つまり、殺戮者は、この地に天界の龍が全て出揃う、この日この時を狙って行動を起こしたのだ。手間を掛けず、しかも確実に彼らを滅ぼすために。

殺戮の現場となった龍の谷には、人の姿のままの龍がそこかしこで血を流して力なく倒れていた。
「これは・・・酷い」
ジンはその凄惨な有様に、思わず眉を顰めた。

(もしかして・・・皆、龍に変化することも出来ずに殺されたのか?・・・何故?)

「ジン!気を付けて!ここの水は猛毒に侵されています!」
辺りを探っていた水蓮が緊迫した声を上げた。
「何だと・・・」
ジンは絶句した。
ということは。
殺戮者は何らかの方法で龍を猛毒に浸し、その身体を害して確実に力を奪い、龍に変化することはおろか戦うことすら出来ない状態にしてから、その剣でもって悠々と殺して回ったということになる。

ジンは奥歯をぎりっと噛み締めた。
(くそ。腹が立つほど用意周到じゃないか)

程なくして、二大神殿の神官たちと魔法庁の魔法使いたちがやってきた。
ジンの幼馴染であり、魔法使いを取り仕切る天導師を務めているヤンも駆け付けた。
「ジン。先に来ていたか」
「ヤン。見ての通り、酷い有様だ」
二人は厳しい表情を交わし合った。
「生存者は?」
ヤンの問いに、ジンは小さく首を横に振った。
「水蓮と探しているが、まだ見つかっていない」
「そうか。では、まずはそこからだな。我々も協力しよう」
ヤンは頷くと、すぐに配下の魔法使いに指示を出した。

しかし、どんなに探しても、鼻に息のある者は見つからない。

「畜生・・・っ!」
ジンは拳をぎゅっと握りしめた。
(本当に、一体も生き残っていないのかよ・・・っ)


「坊や、しっかり!目を開けて!」
緊迫した女性の声が、ジンの耳に飛び込んできた。
「坊や、坊や、死んではダメ!すぐ助けを呼ぶから、しっかりして!」
その声は、納屋の中から聞こえてくる。
「!」
ジンは大急ぎで納屋に飛び込む。
納屋の中では、宵の宮の神官がぐったりと横たわった少年の頬を軽く叩いていた。
「生存者ですか?」
ジンの問いかけに、宵の宮の神官は大きく頷いた。
「はい。この方に抱きかかえられるようにして、倒れていました」
見ると、そこには剣で刺し抜かれ、既に息絶えた壮年の男性の姿があった。
「なるほど」
ジンは少年に視線を移す。
ぱっと見ただけで深手を負っていると分かるほどの出血の量だ。
(・・・傷が深い。危ないな)
「おい、わかるか?しっかりしろ!」
頬を軽く叩くと、少年は小さく呻いた。
「よし。絶対に助けるからな。頑張れよ」
ジンは少年を抱き上げると、水蓮と共にその場を離脱した。

ジンは、龍の谷から一番近い村の診療所で少年の治療にあたった。
しかし、治療を始めてすぐに、少年の身体が夥しい量の猛毒に侵されていることに気が付く。
「水蓮。ダメ元で聞くが、この子の中に入れるか?」
「ごめんなさい。これだけの猛毒の水には入れません」
「そうか。わかった」
ジンは頷くと、解毒と並行して傷の治療を試みる。
しかし、少年の身体を蝕む毒の量が多すぎて、通常の解毒ではとても追いつかない。
ただでさえ弱い少年の呼吸が、更に弱くなってきた。
(くそ。このままじゃ)
ジンは作業を続けながら、自分の知識をひっくり返してあらゆる可能性を考える。

やがて、ジンはひとつの考えに辿り着く。
しかしそれは、ジン自身の生命を掛けた、危険な手段だった。
そして、もし首尾よく乗り越えられたとしても、その後のジンにどんな影響が残るか想像がつかないものだった。

ジンは流石に躊躇った。
いくらこの少年を助けるためとはいえ、そこまでやるべきか、と。

でも。
龍の谷で他に生存者が見つからなければ・・・。
今この子を助けなければ、天界の龍は本当に消滅することになるかもしれないのだ。

(・・・やるだけ、やってみるか)
ジンはひとつ深い息をつくと、ぱんぱんと己の頬を叩いた。
そして、虚空に向けて彼の師に助けを求めた。
彼が取ろうとしている手段には、どうしても師の助けが必要だったからだ。

「師匠、師匠。お願いがあります。どうかこちらにご足労頂けないでしょうか」

呼びかけが終わると同時に、ふわり、と風が動いた。

「ジン。呼んだかい」
ジンの前に姿を見せたのは、赤い着物姿の女性だ。
彼女こそ、ジンの師。王侯貴族の間では「北極星の君」、一般的には「全てを知る者」と呼ばれる、絶対的な知識と経験と権力を持った人物である。
通り名を「カオル」というが、彼女をその名で呼ぶものはいない。

「来て下さってありがとうございます、師匠」
ジンが頭を下げるのを受けながら、カオルはちらり、とベッドに横たわる少年を見やった。
「お前があたしを呼んだ理由は、この子だね?」
「はい」
「こいつは龍の子供じゃないか。お前、なかなか難しそうな子を連れてきたね」
「はい。夥しい量の猛毒に侵されている上に、かなりの深手を負っています。容体的にも厳しい状況です」
「なるほどねえ・・・ジン。いかなあたしでも、この子を絶対に助けられるとは言えないよ」
カオルははっきりと告げてきた。それほど少年の容体は深刻なのだ。
「師匠。そこで、お願いがあります」
ジンは表情を引き締め、師の顔を真直ぐに見た。
「何だい。言ってごらん」
「この子の毒は、俺が引き受けます。俺は自分の中にあるものなら、自分で何とか対処出来ますから。その代わり、どうかこの子の怪我を治療してあげて頂けないでしょうか」
「何だって!」
弟子の言葉に、カオルは驚きの声を上げた。
「お前、そんなことをしたら、自分がどうなるか判っているんだろうね。下手したら生命を失くすんだよ?」
「判っています。他の可能性も考えましたが、これが一番確実な対処法だと思います」
「ジン・・・」
「師匠、俺はどうしてもこの子を助けたい。この子は、もしかしたら天界最後の龍かも知れないんです!」

弟子の熱意に、カオルは遂にその危険な申し出を受諾した。
「全く、お前は熟考した挙句に無茶な手段を選ぶから始末に負えないよ」
口ではそう言いながらも、その表情はとても優しかった。
「・・・すみません」
カオルは、俯いたジンの頭をくしゃくしゃと撫で回した。
そして、ジンの顔をぐいっと掴んで、力強い眼差しでこう告げた。
「いいかい。お前のやろうとしていることは命懸けだが、だからといって簡単に生命を捨てちゃいけないよ。わかったね」

そして。
ジンは魔法を使って少年の身体から全ての毒を抜き、そっくりそのまま自らの身体の中に取り込んだ。
その瞬間、周囲の景色がぐるぐると回転し、恐ろしいほどの吐き気と息苦しさに襲われる。身体の感覚が麻痺し、なすすべもなく、そのままぱたん、と床に倒れこんだ。
まさに、最高級の猛毒だ。
「・・・っ」
床の冷たさを感じながら、遠のきかけた意識を必死でつなぎ止め、己の魔力を総動員して身体の中の毒を消す作業にかかる。
毒がジンを殺すか、ジンの生命力がそれを凌ぐかの壮絶な戦いの始まりだ。

ジンと毒との闘いは三日三晩続いた。
その間の彼はただベッドに横たわり、細く浅い呼吸を繰り返しながら、深い眠りに落ちているように見えた。

四日目の朝。
ジンは何の前触れもなく、ぽっかりと目を開けた。
「おお、ジン。よかった、目が覚めたか」
ほっとした声音の、聞きなれた声がした。
「・・・ヤン?」
視線だけを動かすと、そこには心配顔の幼馴染の姿があった。
「どうして、ここに?」
「師匠から、お前を助けてやってくれって言われてさ」
ヤンは自らの左手を上げて、手首に結わえ付けた紐を見せた。
それを見て、ジンは彼がここに居る理由を悟った。
紐のもう一方の端っこは自分の左手首に巻き付いている筈だ。
「魔力、分けてくれていたんだな。お陰で助かったよ」
「なあに、私にしてやれるのはこれぐらいだからな」
ヤンは片目をつぶって見せた。
「いや。俺の魔力だけじゃ毒に勝てなかったと思う。本当に助かった。ありがとうな」
しみじみと礼の言葉を述べるジンに、ヤンは照れ臭そうな顔をした。
そして、
「お、そうだ。お前が目覚めたら教えてくれって、師匠に言われたんだった」
言い訳のように呟くと、手首の紐を外してそそくさとその場を後にした。

ヤンが部屋を出たのを確認してから、ジンは水の精霊を呼び寄せた。
「水蓮。水をくれ」
「はい」
水蓮は自らの力を使って、ジンの口の中に冷たい水を流し込んだ。
「霊力のある泉の水です」
ジンは軽く頷くと、喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
冷たい泉の水が、文字通り五臓六腑に沁みわたった。
「はあ・・・」
ジンはひとつ息をつくと、真剣な眼差しを水蓮に向けた。
そして、問うた。

「水蓮。俺の中に入れるか?」

「・・・」
水蓮は、泣きそうな顔をして、首を横に振った。

ジンは、小さく息をつくと、ははっ、と笑った。
「わかった。変なことを訊いて済まなかったな」

彼は、自らの中にまだ毒が残っていることを悟った。

ジンは改めて、残った魔力を使って自分の身体の状態を確かめた。
少年から受け取った毒は、ジンの生命にかかわるような質の悪いものについては、きれいに消し去ることが出来ていた。
体内に残ったものは比較的毒性が弱く、残念ながら魔法や薬で消せるものではないが、時間経過とともに少しずつ身体から排出されるタイプのものだった。
(この類の毒だけなら、このまま死ぬってことはなさそうだな)
ジンはほっと息をついた。

だが、いくらそのうち消えるとはいえ、水蓮が自分の中に入れないと判断するだけの毒が、まだ体内に残されている。
そして、残った毒が全て排出されるのにどれぐらいの期間が必要なのか、全く予測がつかない。
これは紛れもない事実だった。

そして、恐らくは。
自分の体液も、毒で汚染されている。

ジンは、はあ、と溜息をついた。
そして、じんわりと苦笑いした。
「・・・まさか、彼女を毒に浸すわけにはいかないよな」
ぽつんと呟いた後、少しの間、ひとりで泣いた。


ジンは、ルシアと共に歩む人生を諦めた。
夢は夢のままで、終わったのだ。


ルシアの就任式は滞りなく無事終了した。
その後、宵の宮主催の宴が催され、普段は静かな神殿は華やかで賑やかな雰囲気に包まれた。
但し、この宴に出席出来るのは役職に就いている神官と来賓だけで、ジン達平の神官たちは酒や料理の準備と来賓の接待など、こまごまと忙しく働かされた。

宴が終わり、来賓が帰宅の途に就いた後。
神官たちは引き続き後片付けに追われていた。
ジンもテーブルに残された食器を集め、会場と洗い場を忙しく往復している。
「ジン」
そんな彼に、声を掛ける女性の姿があった。
ルシアだ。
ルシアは赤紫色の簡素な神官服に着替えて、目立たぬようにそこに佇んでいた。
恐らくは、ジンと直接言葉を交わしたくて、こっそりここに来たのだろう。

(・・・)
ジンの表情が少しだけ変わった。
しかし、すぐに素知らぬ顔で作業の手を止めると、
「これは・・・ルシア様」
周囲に聞こえるような声で呼びかけ、右手を胸に当てて深く首を垂れた。
それに気づいた他の神官たちも、作業の手を止めてルシアに向けて同じ仕草で首を垂れた。

ルシアが息を呑む音が聞こえた。

ジンは顔を上げて、彼女を見つめた。
ルシアは変わらず美しかった。

「・・・」
ルシアは意を決したようにジンの横を通り過ぎ、他の神官にも姿が見える位置に進み出た。
そして、微笑みと共に張りのある声で、下級神官たちをねぎらった。

「皆さん、ご苦労様です」

ジンは、その声を背中に聞きながら、小さな溜息をついた。

おわり

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