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【短編小説】この先は、キミと

青空の下、庭園の薔薇が美しく咲き誇った日、ルシアは天界の二大神殿のひとつ・宵の宮の大司祭を辞任した。
ジンはこの日、ルシアに呼び出されて宵の宮の近くにある庭園を訪れた。
彼は大分前に神官の職を辞して暁の宮を去り、水の精霊・水蓮と二人、定まった住居を持たずあちこちを転々としながら薬師の仕事に専念していた。行った先で病気や怪我で苦しむ人々を診療する傍ら、弟子を取って自らの知見を後世に伝える活動にも着手していた。彼の師が彼に対してそうしてくれたように。
ルシアとは、彼が暁の宮を去る前日に宵の宮へ出向いた際に言葉を交わしたきりだった。ルシアはジンの辞職を残念がってくれたが、殊更に引き留めようとはしなかった。ジンの意思を尊重してくれたのだ。
そんなわけで、すっかり疎遠になっていた筈のルシアからの呼び出しに、ジンは訝しく思う反面、嬉しくも思っていた。それは、愛する人に忘れられていなかったという、一種の安堵感のようなものなのかもしれない。
果たして、ルシアは神官服ではなく小ざっぱりとした女性の平服姿で、テラスの椅子に腰かけてジンを待っていた。
薔薇のアーチの向こうにその姿を見つけたジンは、思わずどきりとし、顔を赤らめた。
(う、美しすぎる。まるで薔薇そのものだ)
ジンは昔と変わらぬ熱量で、今でもルシアにぞっこん惚れているのだ。
「ルシア様」
薔薇のアーチを潜り抜けたところで声を掛けると、ルシアは穏やかな笑みと共にジンを振り向いた。
「ジン。よく来てくれましたね」
(・・・?)
ジンはルシアの姿を間近で見るなり、微かに眉を寄せた。何となく痩せた印象で、顔色も優れないのだ。よく見ると、肩で息をついている。
「ルシア様。もしやお加減が」
挨拶もそこそこにそのことを口にすると、ルシアは雄弁な溜息をついた。そして、
「流石ですね、ジン。実は数年前から体調がすぐれないのです」
正直に打ち明けた。
「え・・・」
「宵の宮の薬師に薬を処方して頂いて、騙し騙し日々を過ごして参りましたが、とうとう皆にも心配をかける事態になってしまって。それで今回、大司祭の職を辞して、第一線から身を引くことにしたのです」
(何だって・・・)
ジンは色を失った。そして、
「ルシア様、何故もっと早く私に知らせて下さらなかったのです」
つい、強い言葉でルシアを責めてしまった。
「ジン。あなたが優秀な薬師であることは、わたくしもよく存じ上げております。ですが、大司祭たるわたくしが、神官の職を辞したあなたを頼るのは違います」
ジンの言葉に、ルシアは毅然と反論した。
(だからって、こんなになるまで・・・)
ジンはそう思ったものの、何も言えなかった。大司祭であったルシアの言うこともよくわかるのだ。
「しかし、全ての職を辞した今のわたくしには、最早そのような拘りはありません」
ルシアの言葉に、ジンは目を上げた。
「ジン。あなたを頼ってもいいですか?」
全ての重荷を下ろし、ただの女となった想いびとの瞳は不安そうに揺れている。
「勿論です、ルシア様。早速お身体を拝見しましょう」
ジンは即答した。これは、相手がルシアだからということではなく、助けを求められればどんな相手にも全力で応じるという、薬師としてのジンの矜持によるものだった。
「あ、待って」
ルシアは自らの脈を取ろうとしたジンを押しとどめた。
「実は、もうひとつお願いがあるのです」
「?何でしょうか?」
ルシアは、面映ゆそうに一度俯いてから、上目遣いにジンを見た。
「あの・・・残りの人生を、わたくしと共に居て下さいませんか?」
「!」
予想だにしなかったルシアの言葉に、ジンは完全に思考停止した。

「ジン。このようなことを言うのは本当に嫌な女のようで自分でもどうかと思うのですが、あなたがわたくしを憎からず思っていることは知っていました」
ルシアは、魂が抜け落ちたように立ち尽くしているジンに向かい、淡々と言葉を繋いだ。
「この際なので正直に申し上げますが、実はわたくしも思いは同じでした。わたくしは、あなたがその言葉を口にして下さる日を、ずっと待っていたのです」
まだ若かったあの日から、ずっと、ずっと。
(まさか、ルシア様の口からこんなことを聞く日がくるとは)
ルシアの告白に、ジンは顔を赤らめた。実のところ、ジンもルシアの気持ちにはずっと以前から気が付いていたのだ。
「でも、あなたはとうとう口にしては下さいませんでしたね」
ルシアは、ふと寂しそうに小さく微笑んだ。
「・・・申し訳ありません」
ジンは小さな声で謝罪した。
彼は、自分の思いを遂げられない事情を抱えていた。そしてそれは今も変わらない。
「あなたには何か人には言えぬ事情があることと、私なりに理解しています。そうでなければ、あなたほどの方が女と添うこともなく、ひとりでいる筈がありませんもの」
「ルシア様は、私を買い被り過ぎです。実際、私はどうしようもなくダメな男です」
目の前にいる、愛する女ひとり、幸せにすることさえ出来なかったから。
「わたくしにとっては、あなたは決してダメな男ではありませんよ。ジン」
ルシアは右手を伸ばして、ジンの頬に触れた。
「私は歳を取ってしまいましたが、あなたは本当に変わりませんね」
「そんなことはありません。ルシア様。あなたは変わらずお美しい」
「まあ、口の上手い事」
「本当の事です」
ジンはルシアの髪に触れた。
「ルシア様」
ジンは、そっとルシアの身体を抱き締めた。
ルシアのことが愛おしくて愛おしくて堪らなかった。
「ジン。嬉しい」
ルシアはジンの背に両手を回した。
長い間、ジンとルシアの胸にしまい込まれていたお互いへの思いが、ここに邂逅した。

ジンはこの後、ルシアに対しこれまで告白出来ずにいた理由を打ち明けた。ルシアは驚いた様子だったが、かつての大司祭らしく事実は事実として冷静に受け止めた。
そして、
「これからは、あなたの苦しみも共に受け止めましょう」
と、自らジンの唇にキスをした。
(・・・!)
ルシアの大胆な行動にジンはますます心を奪われてしまい、もう彼女から離れることが出来なくなった。

こうして、ジンはルシアと共に残りの人生を歩むことに決めた。

ジンはほどなくして放浪生活を止め、奇麗な泉の沸く片田舎に自宅兼療養所を構えた。そして、近くに弟子を住まわせ、交代で人々の治療にあたる体制を整えた。ちなみに奇麗な泉が沸いているところを選んだのは、水の精霊である水蓮がいつでもリフレッシュ出来るようにと、ルシアの気遣いによるものだ。
ルシアは、ジンの自宅のベッドで療養生活を送っている。ルシアの病は完治は難しいが、ゆっくり休んで適切な治療を施せば、日常生活に支障が出ない程度には回復するだろう。
「ルシア様。まずはあなたに元気になってもらわなければなりません。全てはそれからです」
「わかりました、ジン」
ベッドの上で、ルシアは幸せそうに微笑んだ。
「ところで、わたくしのことをルシア様と呼ぶのは、そろそろ」
「あっ・・・すみません、つい癖で」
「それにジンの方が年上なのですから、敬語でなくてもよいのですよ」
「いや、それは無理です」
「そうでしょうか。一緒に学んでいた頃はもっと砕けた感じだったではないですか」
「うーん、あれは、まだ私も若かったですし・・・」
参ったなあ、とばかりにジンは頭を掻いた。そして、
「では、二人でいるときは敬語を止める努力をしてみることにしましょう」
と、ルシアに提案した。

やっと共に歩み出したジンとルシアに、レア神とイル神のご加護を。


本日は「言霊の奏で人」のスピンオフ短編小説を書いてみました。
ジンちゃんとルシア様が一緒になれて作者も嬉しいです。ちょっと甘酸っぱい(照)

本編はNolaノベル様にて鋭意公開中です。
宜しければこちらもどうぞお楽しみください。
https://story.nola-novel.com/novel/N-e25077ee-d12e-4403-b2c3-8b6d3fcfe473


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