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111 / 泣き笑いの人生だ!


起き上がれない。目は覚めているのに起き上がれない。いや、トイレに行く為に起き上がるのだけど、トイレで座ったまま頭を抱えて数分が経つ。ふと我に返って、ベッドに戻る。


二度寝するわけじゃない。目は覚めている。けど何もする気力がない。昨日は、『起きたらシャワーを浴びるぞ』と意気込んで寝たはずなんだけどな。無理だ。ただ横になって考え事をすることしかできない。


でもこんな精神状態での考え事というのはまるで意味がないどころか、悪い方向にしかいかない。過去を振り返れば後悔し、未来に目を向ければ悲観しかできない。今を生きようって?そうだその通りだ。そんな事は分かってる。


ただ、『分かってるけどできない』が、コレの1番やっかいな症状だということを忘れてはいけない。「今を生きよう」という正しいアドバイスが、残念なことにコレを患っている人にはまるで効かないのだという事をぼくは身をもって体感した。


好きな女性と一緒にいる時のアレを愛と呼ぶのなら、何に対してもやる気が起きず、自然と涙さえ流れるコレは鬱と呼んでもいいのじゃないか。ダメ?OKそれでは“甘え”と呼ぼうか。


「病院で診断されたわけじゃないからお前は鬱じゃない」って?じゃあお前は性病になったら明らかに性病の症状が出ているのに「病院で診断されたわけじゃないから性病じゃない」と言ってSEXして性病を撒き散らすのだろうか。性病で死んでくれた方がまだマシだ。


精神と身体は別物だって?身体の症状は心配されるのに精神の方は心配されないわけか。なら病みまくって手首を切って血を流せばようやく心配してくれる?休めって言ってくれる?アホらしい。精神と身体は切っても切り離せない。


そもそも精神疾患というのは、医者ですら明確な線引きができないものだ。鬱じゃない。うんわかった、鬱の症状がある、鬱傾向にあると言えば満足するか?


と、、、起き上がれないのであればベッドでブログを書こうと思いコレを書き始めた。スマホを寝起きのベッドで触るなんて1番避けてきたことだけど、どうせ考え事を30分するのならブログを30分書いた方がマシだろうと思った。


えらい。えらいぞ。1週間貯めていたLINEも返信した。えらい。てか昨日25歳になったんだ。やばすぎ。25年生きることを継続したわけだ。なんたる継続力。すごすぎ。


ここでこの継続をやめるのは勿体ないだろう。他の何が続かなかろうと、コレだけはやめたくない。


生きるんだ。頑張らなくていい。
生きてるだけで誇らしい。
生きてるだけで価値がある。
笑えなくていい。泣いたっていい。


泣き笑いの人生だ!




さて、起き上がろっと。






※これはフィクションです

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