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【短編】星の瞬き【目玉コレクターのおじさんと綺麗な目の少女】

 これほどの目の持ち主にであったのは十何年ぶりだっただろうか。
 目の前の、美しい瞳の少女はじっとこちらを見つめ、この場に似つかわしくない包装された手提げ袋と、片目を隠すほどのヴェールを身にまとい、私の前に立っていた。
 普段は使われることの無いドアノッカーがやってきた自分の職務に満足し、暇を取ろうとするのを横目に少女を見やる。

「君、一体何の用事があって私を訪ねたんだい? どんな身の上かは分からないが、この辺りは殺人鬼達が現れると有名な土地だ。悪いことは言わない。人探しならもう二、三本隣の通りを行ったところに小綺麗な住宅街があるから、そちらを訪ねるといい」

 しかし、少女は首を左右に振り、自分の行いが間違っていないのだと示す。私は頭をかき、ほとほと困り果てた。
 先ほど話した殺人鬼とは、私の事でもある。もう十年近く、輝く人々の眼に魅せられ、色とりどりの眼球を集めている。煌めく色彩を湛えた瞳でこちらを見つめられては、ついついその眼に見入ってしまう。
 そんな私だが、少女を見ていると、一人の女性を思い出す。

 私が青年であった二十代の頃だ。
 その時に出会った女性は、焦げ茶色のくすんだ髪と、上京したばかりのような野暮ったさを感じさせる愛嬌のある人だった。しかし、見た目の垢抜けなさとは裏腹に、その目は、どんな人たちよりも綺麗であった。これまでの私の生涯の中で、もっとも美しいと言っても過言ではなかっただろう。
 彼女は、貧困から身売りを余儀なくされていた。そのままでは遠くない将来、娼館の一室で流行り病にかかり、命を落としてしまうのは想像に難くないことだった。
 しかし、私にとってあの美しい瞳が陰ってしまうのは、これ以上無いくらい苦痛だった。私は若い身空ではあったが、幸い、それなりにまとまった金を持っていた。いつか趣味の為に使おうと、清貧を尽くした結果の金だ。
 当時の私は何をとち狂ったのか、その金を全て引き出し、彼女へと押し付けた。星の瞬きのように目を白黒させる彼女が可笑しく、可愛らしかった。
 彼女はどうしてもお礼をと言っていたが、私の欲しいものは彼女が生きている間には手に入らない。
 私は頑なに名前も素性も伝えず、ただ一言、君の眼が輝いていて欲しかったのだと言った。
 ……私は、それでいいと思ったのだ。

 名前も、連絡先も伝えなかったため、それ以上の関わりは無かったが、今でも忘れない思い出だ。
 その頃の私とは悪い意味で見違えるような人物になってしまったが、人々の美しい瞳に惹かれるのは変わらない。
 故に、目の前の少女の眼が、私にはひどく魅力的に映るのだ。

「分かった。分かったから、上がりなさい。
 私の家の中でなら、他の何者かに襲われることはないだろう」

 少女は笑顔を浮かべ、警戒心の欠片もなく敷居を跨いだ。
 全く、一体どこの誰がこの子を育てたのだろうか? こうも不用心では、据え膳といえども毒気が抜かれてしまう。
 私は少女を居間に案内し、ソファーへと座らせる。思っていたよりも居心地がいいようで、わずかに驚いた顔を見せる。……あぁ、表情まで彼女に似ている。あの時には手に入らなかったあの眼がすぐ目の前にあるのだと思うと、内心踊り出しそうなほど胸が高鳴る。
 私はそんな動揺を押し殺し、少女へと問いかける。

「それで、君はどこの誰なんだい? すまないが、私は身寄りもないし、君のような幼い子供と知り合ったこともないんだが」
「私も、あなたとお会いするのは初めてです。
 改めまして、私はステラと言います。あなたには、私を引き取って欲しくてここまでやって来ました」

 驚愕した、と一言で済ませるには、あまりにも言葉が足りなかった。
 子供の引き取り? この四十年近くの人生、一度も隣に人を置いたことの無い私に、どこの誰が少女を預けようと思うのだろうか? 誤り、勘違いに他ならない。
 ……しかし、ここで一つ、悪い考えがよぎる。
 どうせ一人の少女なのだ。引き取って欲しいと言うくらいだ、彼女も身寄りはないのだろう。だったら━━あの美しい一対の星が、私の手に入るとしたら、それはどれだけ幸せなことなのだろうか?
 私は深く深呼吸をし、動揺したかのように取り繕って彼女を見つめ返す。

「ま、まて、待ってくれ。私に引き取って欲しいだって? 冗談はいけない。私は生まれてこの方家庭を持ったことがない。君のような娘との接し方すら分からない。
 そんな私に君のような可愛らしい娘を託すだなんて、どこのどなたがそんなことを言ったんだい?」

 彼女の眼は微動だにせず、私を見つめている。年若い少女にする反応ではないのは承知の上だが、私の心臓はうるさく騒ぎ立てていた。
 そんな私の様子は露知らず、少女は懐から一通の手紙を差し出す。手紙は、見覚えの無い、どこか幼さを感じる字体のものだった。

『拝啓

 こんにちは、巷で話題となっている殺人鬼さん。
 この手紙をお読みになっていると言うことは、私の娘は、無事にあなたを見つけ出したのだと思います。
 さて、こうして文章でお話しするのは初めてですので、何からお話ししたらいいか……まずは、私のお話からさせていただきます。

 私は十数年前、あなたに身請けをしていただいた者です。身請けとは言っても、あなたは私を手元に置いてはくれず、女一人で生きていくことにはなりましたが。
 お陰様で、私は幸せな人生を過ごしていくことが出来ました。あれから私は近くの料亭に拾われ、素敵な旦那様に迎えられて、愛しい娘を持ち、人生を過ごして参りました。私の幸せな生涯については日記を埋めた場所を娘に伝えてあるので、寝物語にでもしていただければと思います。

 そんな私の生涯ですが、一月前に転機が訪れました。
 私の旦那が通り魔に襲われ、帰らぬ人となったのです。哀しみに暮れていた私でしたが、一矢報いたいと犯人を捜しました。しかし、いくら捜しても足取りすら掴めません。
 悪いことは続くもので、私は病にかかりました。余命も長くはないと、医者から伝えられております。残念ではありますが、これも私の人生。総じて見れば幸せだったと満足しております。
 ……ですが、娘はそうではありません。まだ愛も恋も知らぬ年頃で、世に放逐するには余りにも早い歳です。誰かに、大切に育てて欲しいとそう思いました。

 そこで、あなた様の顔が思い浮かんだのです。ご迷惑な事かとは思います。けれど、娘にはその価値があると思います。是非、娘の瞳をよく見つめ、ご検討いただきたく思います。

敬具』

 私は感慨深さに浸り、深くため息をつく。
 この手紙は、不釣り合いだ。少女のような年のころの娘が書いた字体だが、文章は大人のそれである。恐らくこの手紙を書き上げたのは、私の目の前にいる少女なのだろう。
 しかし、それならなぜ文章が大人のものなのか。もしも、私の推測があっているのだとしたら……少女の母親━━彼女は、この手紙を書いている頃には既に、視力を失っていたのではないかと考える。
 故に、少女が母親の言うとおり、代筆をせざるをえなかったのだと。
 ……目の前の少女が私の身の上を知っているならば、どんな思いでここにいるのだろうか? 『微動だにしない瞳からは想像も出来ない』。
 私はそこではたと気付き、彼女に声をかける。

「君、その手提げ袋の中身を見てもいいかな?」

 彼女は黙って、中身を取り出した。
 それは小箱であった。ちょうど片目が収まるほどの大きさの。
 私は黙って小箱を開いた。
 ━━中には、少女と全く同じの美しい瞳が、微動だにせず私を見つめ返していた。

「……なるほど、全く。
 これで……私にどう断れと言うのだ」

 私は、深く、深く、ため息をついた。少女は深々と頭を下げ、私に懇願する。

「お願いします。どうか、私を引き取っていただけませんか」

 嘆息し、頭をかく。
 引き取るといっても簡単な話ではない。人一人を引き取るには、それ相応の金が必要となる。
 生憎と、若さで大金を失ってからは贅沢と言うものには縁がなかった。金を稼ぐと言うのは簡単なことではない。
 手元のコレクションを競売に出すつもりはないし、手早い手段は限られている。
 私は壁にかかった張り紙を見詰めながら独りごちる。
 ━━人一人の命の値段の、なんと高価なことか。
 さて、少女も頭頂部が見えるほど深く頭を下げられては、瞳から何を考えているかも読み取れない。
 少女の本心を隠すためのヴェールが、小刻みに震えている。……どうやら、私は意外にも情に脆いらしい。

「分かった。君を引き取ろう」
「本当ですか?!」

 少女は━━ステラは勢いよく顔を起こし、食い気味に立ち上がる。
 この際に少しだけ、ヴェールがふわりと浮かび上がる。

「存外、君も綺麗な眼をしているじゃないか」
「……すみません、取り乱しました」

 目まぐるしく移り変わる彼女の表情が可笑しく、思わず笑い声をあげる。

「くくく、何。これから共に暮らすんだ。苦労はあるかもしれないが、気持ちを押し殺すことはない。
 良いも悪いも、忌憚の無い意見を言ってくれ」
「……ありがとうございます。必要なことがあれば、伝えさせていただきます」

 ステラ自身の瞳は、未だヴェールの下に隠されている。
 いつか、彼女が自らの意思で眼を魅せてくれることを祈るとしよう。

 ……さて。

「それでは、君は休んでいるといい。シチューとパンがある。それでも食べて今日は寝なさい」

 そう言いながら、私は仕事道具を取り出し、真っ黒なコートをまとう。ここ最近は使っていなかったが、やはりお気に入りは肌に馴染む。
 ドアノブに手を掛けようとしたところで忘れ物を思い出し、ステラに張り紙を一枚取ってもらう。
 彼女は、酷いしかめ面をしながら張り紙を私に押し付けた。

「そんなものを持って、こんな時間にどこに行くんですか?」

 私は冷たく返す。

「仕事だよ。今夜は賑やかになるから、私が帰るまで、決して家を出てはいけない。

━━それと地下の戸棚に並べてあるコレクションに手を触れることも許さない聡明な君なら分かると思うがあれは私が自分の命と君の次に生涯大切にしているものだからねもしも君が万が一の事をしでかしかたら流石の君でも仕置きをしなくてはいけなくなってしまう私もそれは本望ではないから絶対に絶対に手を触れてはいけないよ分かったね分かったなら黙って首を縦に振るんだいいね」

 気が高ぶり、思わず一息で沢山のお喋りをしてしまう。幸い彼女は聞き取れたようで、綺麗な瞳を上下させ、彗星のように綺麗な帯を残してくれた。

「結構。それでは、これからよろしく頼むよ━━ステラ」

 その日、私は初めて趣味ではない殺人を行い、人一人分の命の値段と、綺麗で素敵な二組のコレクションと……大事な家族を手に入れた。

「ところで、君のその瞳は自分で摘出したものなのかい? だとしたら、私としてはその覚悟に舌を巻くことになるんだが、それはそれとして一つの美しい瞳が陰ってしまったという事で悲しむことにもなる。差し支えなければその行き先も聞きたいところなんだが、いかがかね?!」
「唐突なお話ですね……。
 お返事をするとしたら、その答えは内緒です。私が答えたものが、ホントだとは限りませんし。
 ……それに、お母さんも天国で周りが見えないと、きっと困っちゃいますから」

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