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愛嬌に負けたくない。

社会の勧める空想と現実は矛盾している。
自分の価値は自分で決めるべきだという自己啓発本でのアドバイスは目にする。
しかし、結局社会に入るには就活を通して相手のジャッジが必要。
最終選考まで行っても、就活生のフィーリングや少しの論理破綻を突き、相手を落とす。
そんな社会設定に疲れた。

幼い頃から学校の先生に媚びるのが苦手だった。
媚びていたら成績はそれほどでもないが、内申点が私より上だった同級生を見て引いた。
実力じゃなくて、媚び度で評価しているのか、
そんな大人の裏の顔に引いた。

社会で生きていくためには愛嬌が必要というコミュニケーション力向上の本の数々。
確かに学力や特技がないなら愛嬌という一つの武器は備えておくべきだ。
しかし、愛嬌に匹敵する武器を兼ね備えているのなら、第一次、第二次先行で相手を落とさずに相手の武器を知っているはずの面接官はなぜ相手を落とすのか。
そんな完璧人間が欲しいのだろうか。
逆に人間味がなくてつまらないのではないか?
相手の性格を知りたいからと言って面接を設け、面目上の笑顔を装い、結局相手を落とす。
そのような態度が、もともと自己肯定感が低い我々若者の自己肯定感をさらに急降下させている。

みんな好きな仕事をやっているわけではないから、という声はよく聞く。
しかし私はそれに妥協したくない。
その皆んなの声に頷いた方が愛嬌があって可愛らしいだろうが、私は極端な愛嬌の振る舞いは避けたい。

私の人生だから、という声も聞く。
中高時代は一見キラキラしているような言葉に実感が湧かなかった。
しかし、就活を始める時期になって思う。

私の人生なんだから好きに生きる。

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