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便利な社会が奪うのは何か

こんにちは。社会福祉士、精神保健福祉士のぽこです。


◇雑談

最近、朝起きてからチャイラテを淹れるのにハマっています。
持て余していたスパイスをお湯で煮出してから紅茶の茶葉を入れ、ミルクを加えて温めるという、朝一番の家事としては少し負荷が高い行為です。
しかし朝起きて一番に「自分のためにいい香りのする飲み物を丁寧に用意する」という行為をすることで、「はい今日も一日丁寧に優しく生きましょうね〜」と言ってあげている感じがして心地いいです。
面倒だと思うことでも、意外に自分を豊かにしてくれたりします。

◇スムーズ化された社会が奪うもの

さて、今日は”スムーズすぎる社会”と”そんな社会が私たちから奪うもの”について。
先日も紹介した「ずっとやりたかったことを、やりなさい」という書籍から学んだことをシェアします。
この本からは非常に多くのことを学んだので、いくつかに分けて記事にしています。

・スムーズな社会について

私たちの生活は、日々スムーズになっています。
キャッシュレス決済の発展により、支払いに1分もかからないコンビニやスーパー。
ミールキットと電子レンジの進化により、15分あれば完成する夕食。
コーヒーメーカーの新機能のおかげで、わざわざ近所のカフェに行かなくても自宅で美味しいコーヒーが飲める。

このようなスムーズは生活は、一見便利に見えて、私たちから何かを奪っているとも考えられるのです。

・その工程が楽しいのに

私はパン作りが好きです。特に、パンを捏ねるという工程が好きで、無駄にこねてしまって失敗したりもします。(悪い癖)
先日、とあるYouTuberのパン作り動画を見ていたら、自動でこねてくれる非常にスマートな家電が紹介されていました。
これがあれば簡単にパンを焼くことができる!!と思わず旦那さんに「これほしい!!」と言ったところ、「君は捏ねる工程が好きだったんじゃないの?それを機械にさせたら楽しい工程が一つ減るんじゃない?」とコメントされました。
私はつい「早く」「簡単に」行程を簡略化できる手法を求めてしまっていたのです。

・便利が生む不満

この本では、人は生活が便利になればなるほど、より早くより便利にと求めてしまうと書かれています。今まで「たった15分で食べ物を温めることができるなんてすごい!」と思っていたのが、いつの間にか「1分で温まるべきではないか」と思ってしまう。
今まで満足していた「15分」と言う時間にさえ、イラついてしまうようになるのです。
スムーズに支払うことに慣れすぎた私たちは、時間をかけてお金をやり取りすることに耐えられなくなっています。
Amazonのページの読み込みが遅いだけで、売り上げが落ちるというデータがあるほどに、私たちは「もっと早く」「簡単に」を求めてしまいやすい存在です。

捏ねるのが好きだった私がいつの間にか「早く簡単に捏ねてくれる機械」を求めてしまっていたように、コーヒーを淹れるプロセスが好きだった人がコンビニの100円コーヒーに慣れてしまうことで、いつの間にかコーヒーを淹れるプロセスに見出していた喜びなんて忘れてしまう。

便利になればなるほどその過程を楽しむことを忘れてしまいます。
今までは”不便でもこの過程が好き”とそのやり方を好んでいたのに、次第にそのやり方にイラつくようになってしまいます。
便利になることだけが、自分の人生を豊かにする方法だとは限らないのです。

・まとめ

ということで、スムーズな生活が楽しみを奪う、というテーマで考えてみました。
便利なやり方も時には必要ですが、便利に慣れすぎてしまうと、今まで我慢できていたことが我慢ならなくなります。
スマートフォンの置くだけ充電を使っている人は、もうコード充電の生活に戻ることはできないでしょう。かくいう私も、洗濯機の自動洗剤投入機能を使うようになった今では、自分で洗剤を入れるという工程が非常に面倒に感じています。
今までそんな不満を持ったことはなかったのに。
便利になったことで、今までの当たり前の生活を「不便だった」と感じるようになってしまう。
そのことに少し不安を抱くのは私だけでしょうか。
時々、便利な方向にライフスタイルをシフトしすぎていないか見直してみようと思います。

では、また🌸

・本はこちら

・前回の記事はこちら


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