見出し画像

「意味があること」について

(この記事に出てくる写真は全てチェスキークルムロフという街に行ったときのものです。)

画像7

チェコに来たばっかりのときのこと。と言っても2ヶ月ほど前のこと。

とあるチェコ人に言われたことで引っかかることはいくつもあったけど、その中でも強く印象に残っていて、しっかりめに反論したいものがある。



それは、観光地って感じの観光地に行くことや、そこでアクティビティのためにお金を払うのって意味がないよ


ってこと。
要するに、観光しに行った先で、例えば北極圏に行ってハスキー犬のソリに乗るのに60ユーロ払うことだったりのことを言っているのだと思う。(私の金銭感覚でもそれは高すぎるとは思うけども)

確かに、商業化されすぎた観光地や街全体は興ざめだし、楽しみ方がテンプレ化、タスク化されていてなんとなく悲しくなる場所もあることはある。

画像8


所詮、観光客は現地でお金を落とすことが任務であり、ある種の義務でもあるかもしれない。特にパンデミック下ではなおさら一人当たりが回すべき経済の負担は多くなる。


ただ有名な場所で写真を撮ることが、
ただガイドブックに載っている食べ物を食べてみることが、
「意味のある旅行」に繋がるのかどうかは正直ケースバイケースだと思う。個人的に私はそういう旅はあまり好きではない。

旅行中であってもいつもみたいに過ごしたいから、名所をたくさん見るために早起きしたりとかはしたくない派。逆にその場での偶然とかに身を委ねてみたい。

画像3


旅行は「誰と行くか」、「何をしに行くか」に自分の意思が反映されているのであればあるほどいい旅行になる。


あまり好きでない友達となんとなく遠くに行きたいから旅行するのと、
新婚旅行で二人で行く場所を決めた国に行くのは全く別物であるように。

画像2



それで、意味のある、意味のないの話に戻るけど、
結局意味があるかないかは完全に自分が決めることだし、

それと後になって価値が上がったり下がったりするものだと思う。


どんなにお金や時間や労力をかけて魅力的な場所に旅行出来ても、自分が楽しめなかったらそれこそ「意味がない」だろうし


逆に全くお金も時間もかからない近所で思いも寄らない発見をしたらそれだけで意味のある、記憶に残る一日になる。(学術的に旅行を定義するなら居住地域内で日帰りならおそらく”旅行”には当てはまらないけど by観光学専攻大学生)

画像1

時間が経って振り返ってみて色々あったけど、ああいい旅行だったなって気づけることもあるし、


友達にそこでの思い出を話して旅行自体の自分の中での価値が上がることもあるし、


誰かにアウトプットすることで自分の成長や長所を発見できたり、自分の経験がかけがえのないものだったことを後になって気づけたりする。

画像4


観光に関わらず、自分の身に起こることや自分で選ぶものに意味づけをすることができるのは結局自分だけ。

「つまらなかった」「有意義でなかった」のはその事柄自体に価値がないのではなく、
自分がその魅力に気づき、それを拾って食べてみて消化することが出来なかっただけ。

この違いに気づいてから、〇〇に旅行に行ったけどつまんなかったんだよねえ
って話を聞いて、単純にそこに行くのはやめようって思うのではなく、その人にその土地やそこでの経験がマッチしなかったんだなあ
と思うことにしている。これは旅行以外のことでも然り。

画像9




私にとって意味のあること、意味のないことはなんだろう。


意味のないことでやらなくてもいいことは削ってしまってもいいかもしれない。

画像6


意味のあることを増やしていけるように自分の選択肢や決断に重みを持たせていけるようにしたい。

最近就活も少しずつ始めたんだけども、将来のことを真面目に考えるってなんだか緊張する。でも今までやって来たことに自信を持って、自分にとって最高な進路を握りしめて見せます!!!

でもうまくいかなかったら誰か助けて!!!笑





またね!ちなみにチェスキークルムロフはとっても楽しかった。私がチェコで一番好きな街!

画像5


(URL埋め込みがなぜか最近うまくできなくて悲しい。)

私の他のSNS。

https://linkfly.to/hinakosato

😝